Mother・Sea













「母親の羊水は海水に似ているって本当かな。」


私は小さく虚空に独り言をつぶやいた。

声になっていないかも知れないと思う程小さな声で。


カカシがお土産にと私にくれた、手の平と同じくらいの大きさの貝殻を耳に当てて、

波に似ているようで、でも、まるで別なものみたいな、コォォォという音に耳を澄ませた。

波の音を食べて限り無く白く、貝殻はざらついた表面をうねらせる。


カカシは昨日長期任務から帰ってきた。

彼の今回の任地はこの里から離れた大変遠い異国で、その国は周りを瑠璃色の海に囲まれた島国だと言う。

カカシは、(任務内容はさすがに語りはしないけど、)この国を出たことがない私に、

彼が見てきた異国の珍しい風習の話や私の見たことがないような景色、人々の様子を話し、教えてくれる。


まるで夢物語でも語るように、爪に染み込んだ血の汚れを忘れるように、

酷く疲れているにもかかわらず帰ってきて一番にまずはそんな話を語ってくれた。


私は彼の語る異国の話が好きだ。

彼の話し声に、私は食い入るように聞き入り、引き込まれていく。

きっとそれは話の珍しさだけではなく、カカシが見てきたものだからこそ、こんなにも興味深いのだろう。

同じものを共有する優越感ともいうべき幸せは、私の内部を嬉し気に満たしていく。


一通りの話を終えて疲れ切ったカカシは、私の膝の上に横になっていた。

眠るわけでも無く、ただじっと黙り込んだまま。

私は彼の銀色の髪を撫でながら、手にしていたまるで骨のような白い貝殻を、

私達が座っている紺青色のソファーの隣にある小さな硝子机の上に置いた。


午後の弱い光のせいで薄暗く、静かな冷たさに満ちた部屋。

こんなカカシの姿を見れるのは多分私だけだろうと思うと、また嬉しくてたまらない。

独占する幸せ、それは私の傲慢かも知れないが。


カカシが少し身を捩った。

起き上がろうとしているらしく、ほんの少し横になっただけなのに、と思い私は小さく声をかける。


「疲れてるんでしょう、寝た方がいいよ。」


「・・・ん〜・・・いや、こうしてたら大分、落ち着いたからさ、・・・・。」


沈黙の余韻を噛み締めるように静かに起き上がり、今度は私の肩に凭れ掛かってきた。

怠そうなカカシの重みが心地よく私を押さえ込む。

眠たいせいか、彼の体温はいつもより少し高いようだった。


、重くない・・・?大丈夫?」


「うん、全然大丈夫。心配しなくてもいいよ。」


「ありがと。」


凭れ掛かってくるカカシの頭に私も凭れて、それが当たり前の事であるかのように手を繋いだ。

こうしていると、まるでこの一瞬の時間が、永遠であるような錯覚を覚えてくる。

彼の眠気が少し納まったようなので、私はカカシの見てきたと言う異国の海についてもう一度訊ねた。

話はカカシが眠り込む前にさんざん話してもらったのだが、それとは別に、聞きたいことはたくさんある。


「ねぇ、カカシさん。水平線は見たの?」


「うん、見たよ。

ちょうどねぇ、夜明け前に海沿いを通ったんだ。

だから周りより少し明るい水平線がはっきり見えた。」


「いいね。素敵なんだろうね。

じゃあ、波の音はどのくらい遠くまで聞こえるの?」


「以外と遠くまで聞こえる。静かな場所だと特に、幻聴みたいに小さく耳に入ってくる。」


私の好奇心から来るそんな質問責め。

それにもカカシは一つ一つゆっくりとした言葉を辿りながら答えてくれる。

少し低い声が、互いに凭れている肩や頭から緩やかな振動となって私の空っぽの胸に反響した。

染み渡る掴み所のないカカシの感情。


「へぇ・・・・。

私、本物の海をこの目で見たことがないの。」


「そうか、はこの里から出たことないもんなぁ。」


「いつか見てみたいな。」


「うん。もしも今度休暇がとれたら、海に連れていってあげる。」


嬉しかったのは本当で、私はカカシと海に行きたいと心から思っていた。

しかし、それを約束という言葉で縛り付ける程、私も無知なわけではないので、

ただ、嬉しいと、単純にそれだけをカカシに言った。


カカシも、約束のつもりじゃない。まだ休みがとれるのかもわからない。

" 言霊 "ということばがあるように、声に出して言えば本当になるんだったらいいのに、と思う。

約束なんてしなくても、それが本当になるんなら。








いつの間にか私達はもたれ合いながら、紺青色のソファーで眠ってしまっていたらしい。

ふと目を醒ますと、もう外は燃えるような夕焼けが広がる時刻だった。

カーテンの開けられた窓は、四角く切り取られたヴァ−ミリオン。

オレンヂジュースに溺れると、きっとこんな感じになるのかもしれない。

少し寝ぼけた私の頭は、そんなことを真剣に考えてみる。


眠ったままピクリとも動かないカカシの顔を見ると、何か夢でも見ているのか、眉間に皺を寄せている。

夢、私も確かついさっきまでとても綺麗な、でも不思議な夢を見ていたはずだった。


見たこともない青い海に沈む夢だった。

誰かに名を呼ばれて、どんどんと水の奥深くに身体を沈めていく。

水の中だというのに全く苦しくもなく、名を呼ばれる度に嬉しくてその声無き声に向かっていった。

行ってはいけないという罪悪感も微かに感じながら、海底の誘惑に抵抗出来ない。


身体を浮遊させる水は懐かしいような生温さで次第に身体の力を奪う。

もうすぐ、声の所に辿りつくかも知れないという所で、その夢は終わる。

一体あの心地よい私を呼ぶ声は、何だったのだろう。


「う・・・・。」


カカシが小さく声を洩らした。

うなされているのか何か言いたいのか、それはよく分からなかったが、

とにかく眠ったまま、喉の奥でくぐもった声を出した。


反射的に手を動かそうと思ったが、ふと気付けば、まだ私達の手は繋がれたままだった。

あまりにもその感触が自然で、今まで気付かなかった。


そんな些細なことを嬉しく感じながら、自由な方の手でカカシの髪を梳く。

柔らかく細い銀髪が、指と指の間を流れる。

しばらくそうして髪をゆっくりと梳いていると、カカシの眉間に寄せられていた皺がふっと緩んだ。

寝ている時はまるで子供みたいで可愛い。


カカシの瞳が、ゆっくりと開いた。


「おはよう。」


「んん、おはよー。・・・って、もう夕方かぁ・・・。」


「夢でも見てたの?眉間に皺よってたよ。」


笑いながらからかうように言うと、カカシも苦笑いをした。そして、小さく頷く。


「ヤな夢だよ。

きっと海の話なんてしてたせいだ、が海に沈んでいってしまう夢なんか。」


「・・・・それ、本当?

私も、自分が海に沈む夢を見たの。」


驚いて訊ねると、カカシも同じように驚いた顔をしていた。

見開かれた赤い片目は、夢で見た海の青とは対照的な赤色に揺らいだ。

その目を見て、もしかしたら夢の中で海底に向かう時に感じた罪悪感は、

カカシを残して沈みゆくことへのものだったのかもしれなかった。

いや、そうなのだ。

不確かなことなのに何故か確信があった。


カカシに私が見た夢のことを話すと、彼もまた同じ夢を見ていたのだという。


「ああ、きっと、手を繋いでたせいだね。だから夢も繋がっちゃったんだよ。」


しっかりと繋ぎ止められたままの手を挙げて、私は笑う。

カカシは、笑わなかった。

私が消えることを許さない、と、何も言わずにその目が語る。

赤と黒のオッドアイ。


痛い程まっすぐに私を捉えて離さない視線の束縛に、だんだんと上手く呼吸が出来なくなってきたので、

唐突に私は話題を変えて、もう一度にっこりという音が聞こえそうなくらい微笑んだ。


「・・・お腹、空いたでしょう。何か作るね。」


「え?・・・ああ。」


本当に唐突な、私の言葉にたじろぐカカシを横目に、私は立ち上がってキッチンに向かった。

私は夢とか、海とか、約束とか、これ以上深く考えてはいけないような気がしてきた。

海の底から私を呼ぶ声に、耳を傾けてはいけない。

きっと、今度こそ戻って来れなくなるかもしれない。


カカシが手伝うよ、と、冷蔵庫を開けていくつかの食材を取り出してきた。

すると、カカシは思い出したように言う。


「あの夢、きっとソファーのせいじゃないかな。」


「・・・?」


「ほら、あの紺青色。海の色にそっくり。」


なるほど、と顔を見合わせると、何故か可笑しくて私達は笑いあった。












「今度、海に行こうね。」


ぽつりとカカシが呟いた。

優しい声音が頭に響いて、私の漠然とした恐怖と不安を掻き消した。


が海底に消えたりしないように、ちゃんとつかまえていてあげるから。」














end.


(02.7.20)



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