まちあわせ











こんなに長い間、人を待ち続けたこと等、今までで一度もなかった。

それは、一緒に待ち合わせをして出かけるような友達が時間を守ってくれる人だった、とかではなくて、

誰かと待ち合わせをして出かけたことが、滅多になかったからだった。

私は、今、初めて人を待つことへの淡い期待と澄んだ不安を感じている。

新鮮でどことなくぎこちないような感覚が、鳥肌が立つ程鮮やかに胸を覆った。


膝を抱いて石段の最下段に座る私の頬に、陽の光が暖かく透明な布を被せたような柔らかさで降り注ぐ。

一体この長い階段は何段あるのだろうか。

山にしては少し小さいだろう、そんな小高い丘に深く樹が生茂っていて、

その緑達を掻き分けるように石段は、重く鈍い輝きを放って横たわっている。

白い花崗岩のような石を四角に切り取って並べたような構造で、一段一段はそれ程高くない。

丘の頂上で切断されたようにぷつりと途切れていて、夏が来る度にその勢いを増す緑達に対抗する為か、

階段の両端には、青銅製で緑青が浮き出始めた手摺が、

枝に押されようと、蔦に巻かれようと、頑としてその動かない沈黙を守り続けている。


ざらりとした石の表面を撫でながら暫く考え込んでいた私は、

手に付いた砂を払い落とし、また膝を抱いて顔を埋めた。

どれくらいの時間が経ったのだろう。

私は午前10時に、はたけカカシとこの長い石段のふもとで待ち合わせを約束した、・・・はずだ。


時間にも何にも呆れる程几帳面な私は、9時55分には今と同じようにこの石段に座り、空を見上げた。

晴れ渡る空が美しくて目を細めたのだが、待てども待てども一向に待ち人はこない。

私はすぐに不安になる質なので、とても深い混乱まじりの不安に陥った。

こういうところが私の一番弱い所で、直すべき所なのだ。


私は確かに約束の時間に、約束の場所にいる。

だのにそれをだんだんと不安から疑いだして、何が本当だったのか分からなくなってしまうのだ。

カカシを疑ってはいけない、約束を疑ってはいけない。

そう思いながら私は深い息を吐いて、手首を握りしめて俯いた。

正しいことを何度も確認したから知っているのだ。

だから不安になる必要はないと言い聞かせて、

私はカカシがこんなにも遅れている理由を推測しながら考えていた。


時間を確かめる為、私はポケットからお気に入りの銀色の懐中時計を取り出した。



この懐中時計は、以前カカシが任務で遠出した際にお土産としてくれたものだった。

と、言っても、その任務に行ったのはカカシだけではなく、私も同行していたのだが。

全くカカシが何をしたいのか私はその時は分からなかった。


彼は一緒に同じ場所へ任務に行ったにも関わらず、現地でこっそりとこの時計を購入し、

里に帰還した後になって、私にこれを平然とした顔で、私の手の平の上に落とした。

『あげる。』の一言と共に、だ。


今から思えば、仕事の途中にこういうものを渡すのは不真面目だと思われそうだし、

良くないと思ったからそういう行動をとったのだろう。

でも、私はそのことも含めてカカシが何を考えているのか、

カカシが私をどう思っているのかがまるで分からないのだ。

幼い頃から当たり前のようにいたお互いに、今更思うこと全てを話すのも億劫なのだろうか。

気がつけばそこに居たような存在、とでも言うべきか。

私とカカシはそんなものだった。


でも、最近になって、私達は一応恋人という肩書きを手に入れた。

どちらかが告白した訳でもなく、きっかけは同僚がそう勘違いしていたことだった。

カカシと私と紅、アスマの4人で何気ない会話の途中で、私達の関係のコトが話題になった。

紅もアスマも、私達が付き合っていないと言うととても驚いた顔をしていたものだった。

だから、私はカカシと顔を見合わせて、『じゃあ、付き合う?』と他人事のように言った。

紅達は、そんな淡白すぎる私達を見て、驚きを通り越して呆れ果てていた。


カカシのコトは嫌いでもないし、一緒にいてもちっとも不自然じゃないという事に関しては、

別に付き合ったって何も支障もないのだろう。

自分では気付いていなかったが、私は冷たいくらいに他人に興味がないらしい。

しかし、確かに私は恋愛にも他人にも、そして自分にも興味がない。


何となく生きているだけだと言うことに気付いて、私はそれをなんとも思わない自分が怖くなった。

でも、怖いけれど、安心したのも確かだ。

私が今のまま、誰も愛さず、興味を持たずに死んだら、きっと何も残らないだろう。

それはそれでよかった。


悲しんでくれるのは多分、私には迷惑かもしれない。

私を愛してくれた人には、何も悲しまないで楽しく生きて欲しいと切実に思う。

自分が死ぬことで他人を悲しませたり、迷惑をかけたりするなんてまっぴらだった。



懐中時計の銀色の蓋を開けて、黒い針が指し示した時刻は、もう11時をとっくに過ぎていた。

一時間も石段に座りっぱなしだったのか。

おもむろに立ち上がって、酷く遠くに見える頂上に向かって石段を昇り始める。

コト、コト、と少しくぐもった靴音が耳に心地よくて、私は無心に足を進める。

よく妙だと言われるが、私は靴音と言うものが大好きなのだ。

少し硬質な音が歩く度に踵から零れ落ちてくるのが楽しい。


階段の中腹まで昇り、十分に高いその場所から今まで自分が腰を降ろしていた最下段を見下ろした。

幾分高くなった太陽が、階段の手摺に覆いかぶさるようにしてのびる枝に影を落とす。

まるで樹のトンネルのようだ。

しなやかに伸びる枝は重なりあい、しなだれ、葉をざわつかせて風を呼ぶ。

目を閉じて、私を囲み、渦巻いている絹の様なさらりとした感触の温んだ風を浴びる。

瞼によって視界を閉ざし、自ら造り出した闇の中で浴びる風はとても優しくて強くて清清しいものだった。


目を閉じたまま、階段の中央に立ち尽くして風と見えない光を楽しんでいると、

急に私が背を向けている階段の頂上からひどく強い風が、私の背中を押した。

咄嗟のコトで、目を閉じていた為にバランスがとれず、

私は不安定な空中にほうり出されるような感覚を味わいながら倒れる。



きっとこんな高さから落ちたら、いくら私が忍だとしても、確実に死ぬ。

倒れる刹那、私は、階段から落ちて死ぬなんてのは少し情けないし笑えるけど、

この心地よい風と緑の中で死ねるなら、それもいいと思った。

ただ、遅れてやってくるであろうカカシを、きっととても驚かせてしまうだろうけど。



そんな事が頭をよぎり、自分が考えたことの意味を理解する間もなく、私は身体に走る衝撃に目を閉じた。

しかし、その衝撃というのは、階段から地面へと叩き付けられるような衝撃ではなく、

誰かに乱暴に引き寄せられるような感覚だった。その後には、ふわりと浮かぶような感覚も。

私は妙に思いながら、そっと目を開いた。



地面に倒れ込むように、仰向けに身体を固定された私の視線が捉えたものは、彼の必死な形相だった。



「カ、カカシさん、どうしたんですか・・・?」


思いもよらなかった人物の登場に私がびっくりしていると、

カカシは更に私よりも驚いているらしく、いつもは冷静な彼はひどく動揺していた。

急いで走ってきたことが分かる程に息が上がり、私を支える腕にかなり強く力を込めている。少し、痛い。


「どうしたじゃない、!!!

まったく、何してるんだっ・・・!!!

あんな所からまとも落ちたら怪我どころじゃすまないんだぞ!?」


泣きそうな顔をしたカカシの怒声が間近で聞こえて、私はとても不思議な感覚だった。

いつもカカシはポーカーフェイスで、感情を露にしたところなんて私は見たことがなかった。

私の彼への印象といえば、のんびりと気怠そうな、夏の湖の水面のようなものだった。


ふいに私は、今になってようやく背中が冷たくなった。手が少し震えているかも知れない。

私は死にかけたらしい、と、やっと私の身体が気付いたのだろう。

つくづく鈍感でデタラメなものだ。


「ごめん。」


まだカカシの出現と怒声に驚いていて、頭がぼーっとしているが、取り敢えずカカシが怒っているし、

私を心配してくれたようなので、私は謝罪した。


ずっと前から、私はカカシが私の事をどう思っているのかまったく検討が付かなかったけれど、

今、カカシは私を心配してくれていて、息が上がる程必死になって私を助けてくれた。

そう思うと、彼が私をどう思うのかなんてどうでも良くなってしまって、

とりあえず、私はそんなカカシがとても優しくて、素っ気無くて、強い人だと思う。


「まったくお前は・・・・。本当に俺は焦ったんだぞ?

それに、俺が来るのがもう少し遅れていたら一体どうなってたと思うわけ?」


やっと落ち着いてきたのか、カカシはほとんど階段から落ちかけた事に恐怖していない私を見て、

呆れたように、でも安心したように、溜め息を付いて私を支える腕の力を少し緩めた。


「えへへ、ごめんね。」


「可愛く言ってみても駄目。」


「あ、やっぱりですか?」


ずるずるとカカシの腕から滑り落ちるように地面に手を付いて座り込み、笑った。

あんな事の後で笑う私は少し奇妙に見えるかも知れない。

『でも、よかった』、とカカシも私と同じように座り込み、項垂れて苦笑いで呟いた。

私も、死ぬのもいいかもしれないとは思ったけれど、

やっぱりカカシを驚かせてしまうし、今は死ななくてよかったと思う。


「カカシさんがあんなに一生懸命助けてくれるなんて思いませんでした。

ありがとうございます。」


「あのね・・・。当たり前だろ、が怪我なんてしたら堪えられないに決まってるでしょ!」


「そうなんですか?」


虚をつかれた私が真顔で聞き返すと、カカシはむっとした顔で私の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。

別にそうされるのが嫌だとも思えなくて、されるがままになる。


「だって、カカシさんはいつもほとんど表情にでないし、

私カカシさんが何考えてるか、正直言うとこれっぽっちもわからないんです。」


思う事を正直にカカシに打ちあけてみる。

まだ頭を撫で回されているので、髪の毛で前が見えない。カカシの表情も何も見えない。


「ごめん。」


「何で謝るの?」


「・・・なんとなく。

何考えてるか分からないって、よく言われるよ。

でもねぇ、が何を考えてて、俺の事どう思ってるのか、俺もわからなかったんだよ。」


「お互い様って事ですね。

でも私はカカシさんの事は好きですよ。むしろ大好きですね。」


笑いながら、軽口でも叩くように、本音を言ってみる。

信じてもらえなくても、私がこう思っていることは事実だから別に関係ないと思った。

カカシも、私と同じことを思っていたのかと思うと嬉しくなるくらいに可笑しかった。

私達はとても良く似た人間であるようだ。


「・・・俺も。の事は大好きだよ。

動機は不純だけど、と付き合って良かったと思ってる。」


頭を撫で回す手が止まった。

私はカカシの手をどけて、髪を手で梳いた。やっと前が見える。

すると、カカシはとても暖かい笑顔をこぼしていた。






「ところで、随分遅かったですね。


私、待ち合わせの時刻間違えてなかったですよね?」


悪気がなく、本気で私はそう不安になったので一応カカシに尋ねてみる。

もう少しで忘れる所だったが、私達は元を辿れば待ち合わせをしていて、カカシが遅刻していたのだ。

特に待ったことは気にしていないけれど、もし私があれほど確認したはずの時間を間違えていたのなら、

もっと私は注意力を高めるように日頃から努力しなくてはいけないだろう。


「あ〜・・・いや、・・・道に迷っちゃってさぁ〜・・・。」


「そうだったんですか。」


カカシの目線が泳いでいたことに気付いたが、私が時間を間違えた訳ではないようなので、少し安心した。

私は道に迷ったとカカシが言ったのだから、疑う理由もないので素直に信じた。

カカシがちょっと後ろめたそうな顔をしているのに、私は気付かなかったことにした。


正直なところ、カカシの今日の遅刻には少し感謝している。

滅多に見れないカカシの動揺した顔と、滅多に聞けない本音を聞けたことが嬉しいから。

今までよりはもう少し、カカシが何を考えているか、推測くらいはできるようになったよ。








余談だが、カカシが遅刻常習者だと言うことを、私はかなり後になって知った。

でも、彼を急かそうとも思わない。

何故なら、いろいろなことを考えながら待つ時間もまた、楽しいと思えるからだ。
















end.


そんな日常

(02.5.19)


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