天青石だけがみていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

其れは何所迄も澄んだ淡い水色の空の日だった。

 

 

柔い風の吹く穏やかな昼下がりは、たおやかに降り注いだレムの光に溢れている。

こんなに上機嫌な空の下ならば、温かな土の香りや草木の瑞々しい香りに満ちていた筈だったのだが、

今となっては、美しかった此の広大な平野は見る影も無い。

唸りを上げるように総てを巻き込み、飲み込み、蹂躙した、「戦」と云う其の人災は、あまりに酷いものだった。

大地は軍靴と爆撃に踏み躙られ、鉄錆と屍臭に塗れては平和と云う理想論を嘲笑う。

 

肉食の魔物が屍肉を漁ろうと、遠巻きに戦場跡を窺い潜んでいる。

敵だったものや味方だったものの成れの果て、人間など所詮は死すればただの屍に過ぎぬとは云え、

祖国の為にと大義を掲げて戦った人間と云う名の全ての「同胞」をむざむざ獣の餌にするのは流石に躊躇われる。

魔物共の様子見が終わらぬ内に、此の際どちらの陣営でも構わないから、

何とか後片付けを早めに行ってくれはしないだろうか。思ってはみるが、其れは未だ当分は無理な話だろう。

 

そんな諦観の心はあれども、最早溜め息を吐く気力さえ残っていない。

折り重なる屍体の群の中、流れた血でじっとりと湿った泥の上で、私は壊れた人形のように仰向けに倒れていた。

そうして、綺麗なだけの残酷な晴天を見上げて、惚けていた。

 

生気と云うものがすっかり萎えている。身じろぐのも億劫だ。

誇り高き帝国軍を象徴する青い軍服は、泥と返り血、そして自分の身から零れ落ちた血液で汚れきっていた。

その腑甲斐無き汚濁も、此の現状には御誂え向きだとさえ思えた。

 

砕いた天青石を散りばめたような譜石帯を何気なく見上げ、

意味も無く左腕をふらりと伸ばして顔の上に手を翳してみる。

矮小な人間ごときに掴める筈も無い遥か彼方の其れらが急に忌々しく思えてきて、

伸ばした腕を投げやりにぱたりと落とした。

腕を落とした先には「誰かだったもの」が横たわっていたらしく、

感覚のなくなってきた冷たい手の甲に、鎧か何かだろう、微かに金属の触れる感触があった。

 

どくり、と、右肩に負った傷口から血が緩慢な鼓動と共に溢れ出る。

恐慌状態に陥った敵兵の乱雑な剣戟によって刻まれた其れは、思ったよりも深かったらしい。

馬鹿力め、と内心悪態を吐く。

温かな日差しとは裏腹に身体が冷えてきた。

顔からすっかり血の気が引いているのは先程から自覚していたので、

そろそろ私も辺りに横たわる彼らの仲間入りをすることになりそうだ。

 

風が吹き抜けるさらさらとした音に紛れて、遠くから派手な爆音や怒号が僅かに聞こえてくる。

第三師団を幾らか援軍に寄越すようだと最後の伝令が云っていたので、

恐らくは此処から少し離れた場所でまだやり合っているのだろう。

第三師団というと、確か「死霊使い」などと綽名されているジェイド・カーティス中佐がいる師団だったか。

味方からも畏れられる程のあの希代の譜術士率いる彼の師団ならば、

我々の隊とやり合って疲弊したキムラスカ軍の連隊相手に、そうそう手子摺る事もあるまい。

 

ああ、もう、勝手にやってくれ。

 

何もかもがすっかりどうでもよくなってしまって、

未だ血が止まらない肩の傷を押さえる事もしないまま、眼を閉じて風の音だけを聞いていた。

 

 

 

 

 

 

私はマルクト帝国軍第四師団第十三小隊に所属する下士官であり、

此度のキムラスカとの武力衝突では奇襲部隊として動いていた。

 

衝突原因は些細な事だ。

国境付近でどちらかの軍人がどちらかの民に、暴力を振るったとか振るってないとか云う話だったように思う。

ホド戦争の爪痕が未だ生々しく人々の記憶に残っている今、

両国間の関係が常に緊張状態にある事を考えれば、きっかけなど何だって構わなかったのだろう。

或る意味起こるべくして起きた戦争だったと、誰もが口にはせずとも内心思っていたに違いない。

 

現マルクト帝国皇帝であるカール五世陛下は好戦的な事で有名だ、

利益と繁栄の為なれば尚更躊躇わないし容赦もしない。

 

皇帝陛下の手駒に過ぎない我々軍人は、

下った命令に対してYes,sir.と返事する事しか求められていないし許されてもいない。

此の無意味な戦争に対して何かを思った所でナンセンス極まりないだけだ。

軍人なんて因果な仕事である。そんな事を思いながらそれでも此の仕事に従事する自分は酔狂とさえ云えよう。

一応最低限の矜持くらい持ち合わせてはいるが、私は然程忠義に厚い類いの軍人ではない。

国の為にと云うよりは、仕事と割り切ってやるべき事をやっているだけだ。

 

(そんなだからお前は士官になれないのだ、と同僚には呆れられた。

 仕事のスタンスは人それぞれだ。放っておいて頂きたいものである。)

 

そんな私だが、此度の戦いに於いては第十三小隊副隊長に任命されていた。

淡々と云われた仕事をこなす姿が忠実な兵士であるかの様に見えたのやもしれぬと思い、内心くつりと自嘲する。

真面目腐った顔をして敬礼と共に謹んで拝命したものの、其の時からあまり良い予感はしていなかった。

私はこう云う嫌な予感だけは当たるのだ。

 

案の定、戦局は最初から芳しく無かった。

奇襲を任された我々第四師団第十三小隊、その隊長殿は、

それなりに人望があり、軍歴も長い優秀な中尉ではあったが、如何せん本隊の動きがどうも鈍い。

敵軍の撹乱が巧みだったせいなのか、それとも本隊が相手より弱かっただけなのかは分からないが、

どちらにしろ決行された奇襲作戦がその効果を十分に発揮する事は無かった。

 

少し離れた拠点に待機している駐屯部隊に増援要請の伝令を走らせる頃には、既に全てが手遅れであった。

本隊は半ば壊滅状態に陥り、気付けば既に撤退を始めていた。

 

小隊長に、私達も撤退してはどうか、と極めて儀礼的に一応進言してはみたが、

引き結ばれた口元に苦渋を浮かべながらも、やはり彼は首を縦に振る事はしなかった。

大体そうなるだろうとは思っていたので、私も更に云いつのるようなことはせず、

暗い眼をしながらも覚悟を決めた様子の隊員達に、そのように指示を下して黙々と敵を屠り続けた。

 

本隊が撤退してしまった今、此処で我々迄引いてしまえば敵はますます勢いを付けて戦線を押し込んで来る。

そうすれば更に不味い事になるだろうことは明白だ。

事実上、第十三小隊はこのまま敵ごと自決することを求められたのだ。

 

奇声を上げながら剣を振りかぶる手負いの兵士を一息で切り捨て、頬を濡らす返り血を乱雑に拭う。

血脂に曇る刀身さえ気にも留めぬまま、機械的に剣を振り続けた。

そして、ああ、殉職で二階級特進か、と、下らないことを考えた。

 

死ぬ事が怖く無いなどと嘯くつもりは毛頭無いが、戦場の不気味な高揚に浮かされているせいか、

感情がすっかり麻痺していて、死そのものにはあまり恐怖を感じなかった。

其の代わり、血走った眼で恐怖と興奮と狂気に駆られて怒声を上げながら、

闇雲にこちらに向かって襲いかかって来る敵兵の様相の方が恐ろしかった。

 

此れが合法的殺人か。此れが人の業か。狂っている。誰も彼も。

 

一体、この流れた血と、運命の掌から零れ落ちていく命に、どれほどの意味や理由を乗せられるだろうか。

後付けするにしても、こんな殺し合いに意味等あってたまるものかと、戦いの終わった今となっては思う。

けれど意味が無いと云うのなら、尚更奪った事が、そして奪われた事が、やり切れない。

 

 

 

 

 

 

どのくらい、そうして屍の山の直中で死に至る時を刻んだだろうか。

肩の傷は出血が止まったようではあるが、流し過ぎた血は私の命を確実に擦り減らしていた。

だのに己がそれでも死んでいない事を知覚して、どうしようもなく滑稽で空虚な心地を持て余す。

 

死に損ないと云う単語が脳裡にこびりついて離れない。

此のまま死に損ない続けて、半端に生きたまま獣に腑を喰い漁られるのは、

どうにも尊厳的な意味で具合が悪いように思う。

 

けれど剥き出しの牙から唾液を垂れ流す飢えた魔物は、既にすぐ其処まで近付いていた。

死臭に混ざる獣の匂いが、唸り声が、鋭い爪の地を掻く音が、徐々に迫って来る。

困ったな、と喉の奥だけで呟いて、僅かに瞼を開いた。

力を振り絞ってみたが、指先がぴくりとほんの僅か動いただけだった。

 

あと数メートルと云う所迄獣が差し迫ってきた其の時、ふいに微かな人の声が聞こえた気がして、

けれど、よくよく耳をそばだてる間もなく、明確な低い声が今度ははっきりと鼓膜を揺らす。

 

「エナジーブラスト。」

 

一瞬で膨れ上がったきらきらした白い光球が突如獣の目前で破裂したかと思うと、

獣は呆気無く吹き飛ばされて、屍体の山の一部となった。

 

悠然と土を踏みしめる人間の足音が、仰向けに転がったままの私にゆっくりと近付いて来る。

土の上でも分かる其の重々しい靴音は、確かに軍靴だ。

閉じかけた重い瞼を何とか押し開き、ぼんやりと瞳に空を映していると、

靴音が途絶えたのと同時に、私に影が差した。

 

「…生きていますか。」

 

耳障りの良い、だが冷たい響きを伴ったその低い声は、先程獣に向かって譜術を放った人物と同一であるらしい。

 

私の傍らに立つその人物は、一向に反応を返さぬ私の脇腹を、靴先で軽く蹴りつけた。

擦り傷ではあるが一応負傷している其処をまるで狙い澄ましたかの様に無遠慮に突つかれて、

身体を走った鈍い痛みに漸く私が微かな呻き声を上げると、何とも云えない溜め息が頭上から聞こえてきた。

 

どちらかと云うと、溜め息を吐きたいのはこちらの方であるのだが。

 

生理的な涙に滲む眼をようよう動かし、視線だけを向ければ、

両手をポケットに突っ込んだまま私の傍らに立っている男が、無感情な赤い眼で私を静かに見下ろしていた。

男の軍服は汚れ一つ無く、その鮮やかなセルリアンブルーは、

酷い有り様の戦場跡に於いてはやけに現実味が無く浮き上がって見えた。

 

金茶色の長い髪と赤い眼、他の一般兵とはデザインを異にする軍服。

男のその怜悧な姿には見覚えがあった。

そう云えば、遠くで聞こえていた爆音はすっかり鳴り止んでいる。

此の男が此処に居ると云う事は、全て終わったのか。そう考えて、私は疲れ切った弱々しい瞬きをする。

 

ああ、やりきれない。ああ、やりきれない。

 

此の男の、死霊使いと呼ばれた軍人の涼し気な様子を見るに、

圧倒的大勝を披露してみせたのだろうことは容易に想像がついたが、勝ち負けが問題なのではなく、

私は、ただただやりきれなかったのだ。

私は疲れていた。

 

「生きていますか。」

 

再度念押しするように問われた其の言葉に、死霊使いとは本当に意地が悪い、と思った。

だがそんな事をわざわざ口にする程私は怖いもの知らずでは無い。

仕方なく、痛む喉をおして何とか口を開くことにした。

 

「…残念乍ら、」

 

掠れて途切れて、吐息程のささやかな声ではあったが、

生きているものが私とジェイド・カーティスしかいない静まり返った戦場跡では、十分に聞き取れたらしかった。

彼は苦笑とも失笑ともつかない様子で顔を僅かに歪め、悪運が強いようですね、と少しトーンを落として呟いた。

むしろ此れは運が悪かったのですよ、と心の中だけで返事をしながら、私も苦笑した。

苦笑した、つもりだったが、実際は眼をほんの僅か細める程しか表情は動いてくれなかった。

 

「しかし困りましたね。治癒師がまだ来…」

 

「カー、ティス、中、佐。」

 

「…何ですか。」

 

先程よりは少しマシな声が出たものの、今にも死にそうに弱々しい。

云っている自分でも喋るのを止せばいいのにと思う程の酷い声だった。

しかしそれでも私は口を開いた。

ああ、やりきれないなぁ、ほんとに。

 

「こ、ろして、くだ、さい。」

 

「…」

 

「もう、いい…です。」

 

あなたは何も見なかった。生存者はいなかった。ここには誰もいなかった。

そう声にならない言葉で繰り返し呟いて、じっとカーティス中佐の赤い眼を見つめながら、

ただ静かに緩やかに瞬きを数度繰り返した。

暫し私と真直ぐに眼を合わせていたカーティス中佐だったが、

唐突にふっと視線を何処か遠くに遣りながら、何事も無かったかのように平然と言葉を吐いた。

 

「しかし困りましたね。治癒師がまだ来ていないのですよ。

 仕方ありません、少しの間、我慢していて下さいね。」

 

精一杯の私の主張は、何とも理不尽な方法で黙殺された。

力を振り絞った発言そのものを無かった事にされるとは甚だ遺憾であったのだが、

あと少しで死ねるし、また、あと少しで生き延びられる、と云う微妙なボーダーライン上にいる私に出来るのは、

この理不尽の塊が下す決定と命令を甘んじて受け入れる事だけだった。

私はまだ生きているので、まだ軍人だ。

非常に残念な話だが、返事はYes,sir.しか許可されていなかったのだ。

 

「…それ、は、命令、ですか。」

 

「ええ、命令です。」

 

取って付けた様な微笑をもってきっぱりと肯定された。

中佐の其の表情は確かに微笑ではあったのだが、しかし眼は全く笑っていなかった。

 

その様子だけ見ていればまるで死神然としている様相でさえあるのに、している事と云ったら正反対なのだ。

善意や道徳と云った一般的良心と呼ばれるものから来る行動では全く無さそうではあったが、

確かに結論からすれば正反対と云って相違無い。

私は一瞬の内にそんないろいろと余計な事を考えたのだが、

考えた所で死霊使いの思考回路など、土台私ごとき凡人に割り出せる訳が無いのは自明だ。

 

私は潔く諦めた。

死ぬ事と生きる事と其れらを考える事を含めた全てを。

 

「…Yes,sir.」

 

投げ遣りに呟いてゆっくりと眼を閉じた私に、抵抗する意思も気力も無い事が見て取れたのか、

カーティス中佐は当然だと云いた気な泰然とした様子だった。

此の人ほんと大物だわ、と皮肉混じりに胸の内で呟いていると、

突然身体が浮遊感と痛みに襲われて、私は思わず反射的に眼を見開く。

と、目の前に見えたのは、鮮烈なセルリアンブルー。

翻る長い襟と背中。腹部には圧迫感。

手足はだらりと重力に従って垂れ下がったその体勢は、どう考えてもいろんな意味で間違っている様な気がした。

 

可笑しい。

何かが明らかに可笑しい。

 

「中、佐…あの…何、を…」

 

「見ての通り、貴方を運んで差し上げているのですが、何か?」

 

そんなさも当たり前の様な口振りで云うものだから、何だか私が間違っているような気がして来るではないか。

呆然と見開いた眼の先で逆さにひらひら揺れる中佐の軍服の襟を、

白痴の仔のように只管見つめながら、結局何も云えずに押し黙る。

 

カーティス中佐の肩に土嚢か何かの様にあっさりと担ぎ上げられ、

転がる屍体を避けてさくさくと大股に歩いていく其の軽やかな歩調に合わせて、

私は何だかよく分からないままぶら下がる手足を揺らす。

 

中佐の肩に圧迫された腹部が傷と相まって非常に苦しいし、

無数に切り刻まれた全身の傷跡が引き攣れて、振動と連動するようにじくじくと痛む。頭が朦朧とする。

 

あ、「我慢」って、こういう意味だったのか、と。

 

私は先のカーティス中佐の発言の意図に、大分遅れてようやっと気付いたのだった。

別に丁重に横抱きにしてくれとは微塵も思わないが、重傷の人間を荷物のように持ち運ぶのもどうだろう。

まぁ、何より、こうして瀕死の私をぺろっとテイクアウトしているのが、

かの有名な死霊使いだ、と云うのが、一番驚くポイントであるとは思うが。

 

「…此れで、悪運、使い、果たせ、た、でしょうか、ね。」

 

混沌としながら渦を巻く意識を何とか手繰り寄せながら、男の背中に向かって小さく呟いた。

ゆらゆら、ゆらゆら。手足も視界も揺れている。

それでも、揺れている世界に私は未だ繋ぎ止められたまま、確実に生きて存在する。

そんな自分に呆れて、失望しながらも、段々どうでもよくなってきてしまうのだから不思議なものだ。

 

「さぁ、どうでしょうねぇ。」

 

悪運が尽きるどころか、どんどん無限に湧いて出て来るかのような不吉な言葉を、

カーティス中佐は酷く加虐的な愉しさを含ませた声音でさっくりと云い放つ。

 

ジェイド・カーティスとは、こういう人間だったのか。

噂話でしか知らぬ他所の師団の上官の思わぬ有り様に、何とも複雑な気持ちになりながらぐったりと眼を閉じた。

 

私は潔く諦めた。

死ぬ事と生きる事と其れらを考える事を含めた全てを。

そして、此のジェイド・カーティスと云う男に出会ってしまった、己の奇妙な運命を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

fin.

 

 

(11.2.9)

 

 

 

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