風葬フィルム














日曜の放課後、というのもまた厳密には正しく無い表現なのだが、

そう表現するに相応しいような空気がここにはある。

私達の他には誰もいない図書室の少し黴くさい古い紙の匂いが、

僅かな陽光に暖められて不可思議な懐かしさを思わせる匂いに変質していく。


明かり取り程度にうっすらとブラインドの隙間から洩れ落ちる光線は、

眼には見えないがしかし着実に木の本棚の表面を風化させるし、本の背表紙を黄変させる。

まぁ、そんな傷んだ古い本こそがどことなく私の愛着を誘う訳だが。


「一宮くんよ、こっち向いてみな」


「厭だ」


ブラインドの降りた窓枠に腰掛けながら、私は一宮を呼び、カメラを構えた。

祖父から譲り受けた結構なアンティークカメラだ。

重厚な黒と変色した銀色が両手に重くて、構えているだけで肩がこりそうだった。


机に向かい参考書だの彼愛用の辞書だのノートだのを広げて黙々と勉強する一宮に向けて、

私はさっきからずっとこのカメラを向けて構えたりレンズをこすったりしているのだが、

シャッターチャンスは一向に訪れないまま、彼の俯く横顔をレンズ越しに眺めている。


横顔なら数枚既に撮っている。

なので、できれば私は正面を向いた顔を撮ってみたいなぁと密かな願望を感じるのだ。


一宮が静かにまた参考書を捲った。


しゃり、という耳に心地よい紙擦れの音が何の感慨も無く産み落とされてやがて消える。

姑くの沈黙、そして神経質そうにノートを滑るシャープペンシル、沈黙、また紙擦れ。


よくも、まぁ、こんなに無機質なのはいいとしても、

こんなに下らない作業を黙ってこなせるものだと、

私は両肘を膝に付き、片手ではカメラを持ち、もう片手では頬杖をついた。








一宮は、この日曜、午後まで続いた部活を終えると、身体の熱も冷めないまま図書室に来た。

私は金曜にそのことを聞いて知っていたので、ちょうど彼が部活を終える少し前に、

態々学校まで出向き図書室で彼が来るのを待ち構えていたのだった。


一宮は自主学習を、私は無意味な戯れをしに。


そう、そもそもは私も彼を見習うがごとくいくつかの軽そうな参考書を選んで持参したが、

純製の硬質な沈黙を押し通したままの空気を保持することに飽いた。


ただ下を向いて作業をする一宮を気にすること無く静かに席を立ち、

湿った冷たい空気を胸に閉じ込めながら室内を歩き回った。


足音を立てない私に一宮が気を散らすはずもなく、私達は思い思いに存在する。


本を眺めることにさえ飽いて、何気なく彼がいる机に戻ると鞄から古びたカメラを取り出した。

その一切を一宮は無視した。


カメラのカバーを外して、私は一宮の斜後ろに立ち、ピントを合わせ、レンズの埃を拭い、

フィルムを巻き、何の躊躇いもきっかけも無しでシャッターを押した。


パシャッ


すると、一宮の手がようやく止まった。

振り返らずに、身動き一つせずに、一宮はただ一言云った。


「撮るな」


「何で。別にいいじゃない、どうせこのフィルム、現像するつもりもないの」


「だったら尚更止めろ

 耳障りだし目障りなんだよ」


「写真撮られんの嫌いでしょう、一宮くん」


薄く笑んで、構えていたカメラをようやく降ろすと、私は一宮の隣で机に軽く腰を降ろした。

ようやく私の顔を見上げた一宮が、不服そうに顔を顰めた。

机に座るな、と小さな声で私を嗜める声が聞こえた気がした。


「私も嫌い」


「は?」


「写真、私もすごく撮られるのが嫌いで、だから私は撮る側に回るわけ

 私は昨日の自分を恥じてるから、昨日よりももっと前の自分はむしろ嫌悪すべきだと思うの

 それを写真に残しておくなんて拷問だと思わない?」


心底苦々しい顔をして溜め息を付く私を見て、一宮は少し莫迦にしたように鼻で笑った。

ちくしょう、と私は少し失敗した気がした。


こんなことを云ったらこの男は絶対に私を見下して笑うことなどわかりきっているのに、

ついそれを忘れて本音を零してしまうことが私にはよくあった。

これも明日の私の苦悶の種となるだろう。


「こんなこと、一宮くんに云った私が莫迦だった」


「わかってるじゃねーか」


にやりと嫌味に笑う一宮が心底私の悔しさを深くさせるので、

私は一瞬の内にカメラを構えてシャッターを押した。


一宮がとっさに顔を背けたので結局フィルムに焼きつけられた映像は彼の側頭部だけだった。

それがまた悔しく思ったが、必至に映るまいとして焦る一宮が子供のようだと思い、

何だか無駄に微笑ましい気分になってくる。


「ったく、油断も隙もねぇ・・・」


「人はそれを油断大敵と云う」


ちっ、と舌打ち一つして一宮はまた私の存在を忘れて、

いや、頭から振り切るように、ノートと参考書に向き直った。








さん、やる気ねぇんだったらいい加減帰れよ」


「最初はあった」


「最初だけだろ」


再び席に戻っては来たものの、ただカメラのレンズを丁寧に琥珀色のリンネルで拭いていた。

それを見兼ねて一宮が溜め息を吐きながら云ったのだった。


「そんなに私邪魔かな」


「・・・・邪魔と云うより、気が散る」


「それ、あんまり違いは無いと思うんだけど」


私の指摘を軽やかに無視すると、彼は辞書を手にしながら、何かを調べ始めた。

如何に内容の薄い無意味な会話だと云えども、話ながら勉強をするとは器用な男だ。


「・・・・一宮くんはどうするの」


「俺はまだここにいる」


「いや、そうじゃなくてさ、進路とかだよ」


そう私が云うと、一宮は少し意外そうに瞬きをして私をまじまじと見上げた。

その表情には人を見下したり莫迦にしたりするようなものはなくて、

ただ困惑が滲んだ訝し気な表情があるだけだ。


私はそんなに妙なことを云っただろうか。

少し面喰らって、肩を竦ませた。


さんは?」


一瞬の無言を挟んで、一宮は質問を質問で返すと、

さして興味も無さげに両肘を付いて指を組んだ。


「私は、別に、普通に普通の大学行くと思う

 あんまり頑張るつもりもないし一流大学もステキナ就職も興味がないのよ

 ついでに云うと長生きするつもりもないからね、私は」


にやりとして戯けたポーズをとって云うと、一宮は少しだけ笑ったが、

私は実のところ、至って真面目だった。

私には、興味がないことがあまりに多すぎるのだ。


「で、一宮くんはどうなのさ」


「俺も大学に行くだけだ」


「野球は?」


何気ない問いに、一宮はさして何かの感情を表しもせず、ただ黙っていた。

黙秘権の行使は、なにも犯罪においての被疑者だけに赦された権利ではない。


あぁ、思わぬところで彼のボーダーラインに触れてしまった、

そんな気がして、彼に対して申し訳なくなり、胸が痛んだ。


「・・・・謝らないけど、悪かったと思ってる」


謝らないのは、私なりの彼への敬意である。

私の中途半端な同情で彼の3年を踏みにじることが出来ようはずもない。


「は、何だよそれ」


一宮は笑った。

それは本心で少しも気にしてはいないということを露にしていて、

少しだけほっとして、私も笑んだ。


「そういや、そのフィルム何で現像しないんだ?」


「ん、あぁ、これか、これはさっき図書室に来る前に、野球部の連中撮ったからね

 撮ってくれーってわぁわぁ騒がれたからつい微笑ましくて撮っちゃったのよ」


「そこに現像したくもない程嫌いな奴がいたとかな」


「うわー、君、同じ部の人に対して云うことかそれ、酷い奴だな

 そもそもそんなんじゃないよ」


笑った後に落ちた小さな空白に少し苦く失笑して、私は云った。


「私は撮られるのが嫌いだから撮るってさっき云ったけどね

 あんまり、人間を撮るのも実は好きじゃないわけよ」


それは例えば未練への戒めであり、恐怖の駆逐だ。


一宮は、中途半端な相槌をして、曖昧な表情で頬杖を付いた。

なにもかもが不明瞭で、私にはそれがどういう彼の心持ちからなのかわからない。



ふと、薄く埃を被った壁掛け時計を見ると、もうすぐ夕刻が迫る頃を指していた。


「私そろそろ帰るけど、一宮くんはまだ残るの?」


「あぁ、もう少しな」


そうか、と、私は当たり前のように無造作に荷をまとめて鞄に放り入れる。

一宮に手を降って図書室の出口に向かった。

ノートに視線を落としたままで一宮はだるそうに、また投げ遺りに、手を振り返した。


私は何かを思い付いたようにゆっくりと立ち止まって振り返り、

少し大きな声で、黙々と俯いて参考書を捲る彼に呼び掛けた。


「あ、ねぇ!」


「何だよ」


返事をしながら、一宮は無為に顔を上げてこちらを向いた。


パシャッ


「最後に、正面の写真だけ一枚撮らせてね、って、云おうとしたの」


「・・・・くそっ、・・・もういい、さっさと帰りやがれ!」


心底悔しそうに顔を盛大に顰めて、一宮は犬か猫を追い払うかのように乱暴に手を降った。

その微笑ましさと云ったらなくて、私は上機嫌で静かに図書室の扉を閉めた。




はたして君は何も疑問には思わなかったのだろうか

人間を撮るのが嫌いだと云った私が

何故こうも君をフィルムに焼きつけたがるのかを













Fin.




 

 

カメラと図書室

ぬるま湯のようなとある出来事

(03.6.30)






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