朱の落ち日は沈黙に殺される













私と一宮くんと、別に申し合わせて一緒に帰っている訳では無いのに、

何故か今、一緒に川沿いの土手の上の道を、2人して重苦しい足取りと沈黙を引き摺って歩いている。


彼は放課後に部活があって、私も放課後に部活があって、

私の部活は彼のそれとは一切が関わりのないところに位置している。

だから別に私の眼で追える範囲に彼がいる訳でも無くて、

そうなのに何故同じタイミングで同じ緯度と軽度に存在しているのかわからない。


何であたしら一緒にいるの、と訊ねたい気持ちはやまやまだが、

私はそう気軽に彼に話し掛けられる程彼と仲が良い訳でも無い。

(言葉を交わしたのは機械的な必要性に迫られて数回。それも3年間でだ。笑ってしまう。)

しかも加えて、私はあたらしい他人になかなか慣れることが出来ない質なのだ。


微妙な具合に「他人」という空気を滲ませた距離が開いていて、

背中の方からくる朱の落ち日に焼かれたアスファルトが何だか眩しい訳でも無いのに眼が痛くて、

とりあえず落ち日とは真逆の方向である進行方向を向いて、

背中からもアスファルトからも意識を遠ざけてしまった。眩しいのは好きじゃ無い。


横たわる微妙な間隔の向こう岸に一宮くんが重そうな荷物を軽々背負って、

少し疲れたような顔をして、(でも涼しい無表情で、)ただ歩いていた。

この男は歩く以外に何をしているわけでもなかった。

考え事に気を注いでいるのでも、何も考えずにぼんやりしているのでもなく。


なんだ、なんだ、なんてつまらない。

そしてなんて息苦しいし身体が震えそうだ。


私はあたらしい他人は苦手だ。

彼はすでにあたらしいと云うには顔はよく見知りすぎているけれど、ただそれだけだ。

話したこともない、彼の主義主張を知っている訳でもなくてそれでどうして友達だなんて定義出来るだろう。


第一、これといって今現在隣にいる一宮くんとはなんら関係の無い私の主義だが、

私は「友達」という言葉が嫌いだから、「友人」と云う言葉を平生使用している。


ともかく、だんだんと考え事の深みにはまっていく内に本質を忘れてしまいそうになるが、

まったくの他人という定義上に存在する人物である一宮くんが、

不自然な沈黙を背負って隣にいる、歩いている、そのことが私の神経と胃に大変悪いのだ。


家が同じ方向なのだろうか、いやしかし私の帰路の周囲にも私の家の近くにも、

「一宮」なんていう名字を掲げた門も扉も無いではないか。

もしかしたら私の家の近くの角を曲がって違う道にそれてさらにその道の果てを目指すのかもしれない。

だからといって私とまったく同じ帰り道をこんなにずっと歩くよりも、

家に近く帰れる道が何処かしらあるのではないかとも思えてますます私は訳が分からない。


百歩譲って、歩く速度の違い故に前後の距離が開くならともかく、

驚くべきことに、私が彼からわざとごく自然を装って遅れて歩こうとすれば彼の歩みも遅くなるではないか。

逆も同じことで、早く歩けば彼も至って当たり前に早足になり、

そして私は彼をおいて行く程そんなに早くは歩けないのもまたそれはそれで当たり前のことで。


では走って適当に遠回りして撒こうかとも一刹那逡巡しもしたが、阿呆らしくなって止めた。

逃げることに捕らわれて忘れていたが、一宮くんとは同じクラスなので、

必然的に明日も明後日も同じ教室の席に着くことになるわけで、

クラスメートから必死になって走って逃げるのも奇怪な話だ。

それに、走ったって追いかけられたら逃げ切れる訳が無い。私は彼程足は速くない。


何だ、一体何なんだ、一宮一志。

君は一体私に何の概念を向けている。


とにかく沈黙が不自然で息苦しくて背筋が震えて仕方なかったし、

足だってぎこちない運動を繰り返すことだけで精一杯だった。


「家」


「は?」


さんの家って、こっちの方向なのか」


「う、ん。そうだけど」


突然一宮くんがぼそりと呟くから、散々固まって痙攣しそうな喉から出た私の声のなんと間抜けなこと。

あぁもうこれだから嫌いなんだ沈黙も不意打ちも!


「ふーん」


「・・・・・」


「・・・・・」


不可解なところで、もともと今にも切れそうだった会話の糸はそれっきり断絶する。

横顔を少しばかり窺えば、無表情に涼しい顔してるよ本当、一宮くん。


そんなとき、ふと、気が付いてみれば、彼は私の名前を憶えているらしかった。

自慢にもならないが、学校でもどこでも私は目立つのが嫌いだ。他所の世界に興味もない。

それ故に私の名前すら未だに知らないクラスメィトだって少なく無いだろうと思うのだ。


そんな状況下に於いて、一宮くんが私の名前を知っていた事実に対して驚くと同時に、

悪い気はしなかった。素直に云うと、ちょっとばかり嬉しかったりもする。

そんな自分を客観的に感じて内心苦笑した。

無関心な私でも少しくらい自分に対する固執があったんじゃないかと、そういうことだ。


考え事がそこまできて途切れて、また私に降り掛かるのは生き返ってきた重苦しい沈黙だった。


謀らずとも自然に深い深い溜め息を物憂気に吐いてしまうのは仕方なくて、

でも鳥の鳴き聲くらいしか聞こえない静かな川沿いの土手道ではやけに溜め息が響く気がする。

自分の溜め息に余計に居心地を悪くしてしまう羽目になり、頭痛を紛らわすように川面を見た。


確実に弱まって行く落ち日の本日最後の光を受けて、

鈍い緑色がかった生温い川水にオレンヂ光の断片がひらひら身を翻している。


眼に眩しくちらつくその光にも、いい加減、苛だちが募り、

どうにでもなっちまえというような自棄な気分で思いきって一宮くんに話し掛けた。

久し振りに出したような気がする声が、上手いこと音を成してくれない。


「一宮くんの家もこっちの方向?」


「いや」


即答されて私は言葉が詰まり、どうにもそれ以上喉の奥から言葉の欠片すらでてこなかった。

しかも私は脱力していた。


本当の本当に一体なんだって云うんだ、一宮一志。

家と方向が違うのなら何故態々こちらへ向かうのだ、一宮一志。


私は一宮くん同様、表情は無いままに取り繕っていたが、内心では頭を抱えて唸っていた。

一宮くんとはこんな人だっただろうか、もっと普通のどこにでもいるような存在だと思っていたのに。

(こうは云ったが、私は別に彼が普通でいることを否定しているのでは無く、

 普通であるが故に、私に変に心労を与えない無害な他人だと思っていたし、思いたかったのだ。)


「あのさ」


「何だよ」


「・・・・・いや、私の名前よく知ってたなー、と思って」


「3年も同じクラスだったら普通知ってるだろ」


「そうかな」


「・・・・」


「・・・一宮くんて野球部だったよね」


どうにか痛い沈黙は避けたくて、でもどちらにしろ痛い会話で、

私は絶対にこれを途切れさせられないような気持ちに駆られて思い付く限りの話題で話し掛けていた。

でもじきにその質問数にも限界が生じてくる。


思えば、私は生来あたらしい他人との会話において話題と云うものに随分と事欠いてきた。

別にそのことを呪ったこともさして無いが、今は少し恨めしさと訳の分からない後悔がある。


「あのさ」


「だから、何だよ」


「あのさー、一宮くん、家、こっちの方向じゃないんだよね」


「さっきもそうだって云ったけど」


「うん、いやね、でも、だったら何でこっちに向かってるのかなーなんて・・・」


「寄る処があるからに決まってる

 用も無いのに別方向に向かって帰る莫迦がいるか」


君って変な人なんだと思ってたし、いるかと思ったんだよ、

とは、呆れたような不機嫌なような表情をして云う彼にはとても云えなかったが、

この重い空気が流れる中帰路に付いていた私達の時間が始まって以来、

初めて一宮くんがこんなに長く文章を喋るのを聞いた。


ちゃんと会話くらいできるんじゃ無いか、と思うのが半分、

嫌味な言い方をする失敬な奴だな、と思うのがもう半分。


「息がしにくい」


やはり急ぎ巣に帰る鳥の鳴き聲しか聞こえない深い穴のような沈黙が隙間を埋めようとするので、

校門を出てからもうずっとだった膝のぎこちない微少な震えと息苦しさが、

そろそろ我慢し切れなくなりそうで、つい思い掛けなくも声に出して小さく呟いてしまった。


「なんだよそれ」


案の定その呟きは一宮くんの耳に聞こえてしまったらしかった。

怪訝そうな、ちょっと突き放したようにも聞こえる彼の声に少し私は怯んでしまう。


彼のぞんざいな喋り方はどうも怖いように思えて身構えてしまう。

私の友人にはこういう喋り方をする人がいないので、慣れの問題だとは思う。

経験からすれば、慣れれば多分にも愛嬌があると思えるようになるはずだが。


「いや、・・・意味は無いから忘れていいよ今のは」


訝し気に眉間に皺を寄せつつも、一宮くんはそれ以上聞かなかった。

その調子で忘れてくれ、と、妙に切実に祈ってしまうのは何故だろうか。



しばらくして突然一宮くんの気配が隣から消えたので、あれ、と思って顔を上げて隣を見遣れば、

一宮くんが私の進む道から逸れて角を曲がったところだった。

無言のうちのことだったので、私は少し面喰らって思わず云った。


「そっち?」


「何が」


一宮くんが少し立ち止まり眉根を寄せて私を見た。


「いや、だから・・・・・

 ・・・・・うん、まぁ、ばいばい」


「あぁ」


角を曲がり振り返りもしないでそのまま私から遠ざかる一宮くんの後ろ姿を見て、

私はただ困惑と呆気無さと狼狽と突然の隣の空白に立ち尽くして見送るしか無かった。


もう日は名残りを残すだけで天幕は濃紺から暗いオレンヂへのグラデェションばかり。

そんなに長い時間でもなかったのに何時間にでも感じた道のりと沈黙と呼吸のつかえと膝の震え。

あっけないばかりのそれらに名残りを惜しむ気持ち等多分無いはずだが。


帰路の残りの道のり、素直に真直ぐ帰るには何故か影を落とすわだかまりを散らせない気がして、

もうあと少しで家が見えてくるのにも関わらず私は遠回りする為に、

一宮くんの後ろ姿が消えて行ったのとは正反対に向かう角を曲がって、

ふらふらとおぼつかない足取りで歩いて行った。


蝙蝠の飛ぶ空の下で回り道をする私は、

長いような短かったような一宮くんとの間に横たわる沈黙の感覚を何度も思い出して反芻したし、

教室など学校で見た覚えている限りの一宮くんの存在について何度も考えていた。


そういえば、今、もはや一宮くんは「あたらしい」他人ではなくなっている。



















Fin.




 

 

 

(03.6.28)















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