黄昏の檻 8
拝啓、主様。は相変わらずの日々を過ごしております。
そしてちっとも太刀は戻って参りません。もう諦めては如何でしょうか。
…と、そんな事、云える、訳が、ない。
はぁっと溜め息を吐きながら洗った食器を拭いて棚に戻す。
流石に倦んだ末に家を飛び出すような真似はもうするつもりはないが、こうも進展が無いと途方に暮れてしまう。
未だ太刀は戻らず、しかも、余りはっきりとは教えて貰えなかったが、どうやらまだ行方の見当も付かないらしかった。
盗人はよほどの手練で、盗品の処分方法も周到なようだ。
わざわざご苦労なことである。ちくしょう。その情熱を真っ当な労働に向けたまえよ。
見ず知らずの窃盗犯に悪態を吐きつつ皿を片付け終えて一息つき、椅子に座ってだらりと机に腕を投げ出して顎を乗せる。
そう云えば、一週間程前にナルト達に礼と称して夕飯を奢ってからこっち、二人に一度も会っていないなと思い至る。
それもそうか、私は用事もないので買い物などの必要な時以外はほぼ自宅待機状態だ。
彼らは彼らで、ナルトの話ではアカデミーの卒業試験と云うものがあると云うし、
其の準備に追われているのか、試験の真っ直中なのかと云った所だろう。
まぁそこまで彼らと親しいと云う訳でも無い。気にする事は無いかと思い至って考えるのをすぐに放棄した。
と、其処で、ふと無人の筈の隣室、ナルトの部屋の方から、何やら物音が聞こえたような気がして、少々眉を顰める。
今日もナルトは元気に扉を蹴破るんじゃないかと云う勢いで走り出て行く音が聞こえて来たので、ナルトではないのは確かだろう。
彼は帰って来たときもうるさいのですぐわかる。(…それにしたって彼はもう少し静かに行動できないものだろうか…)
気のせいだろうかと思いつつも、不審者とかだったら厭だなぁと考えて、開けっ放しだった窓を閉める事にした。
面倒な事にも物騒な事にも、なるべくなら関わりたく無いものである。
外開きの窓を閉めようと、少し身を乗り出した其の時、ナルトの部屋の窓から、ぬっと黒い影が出て来たのが見えてぎょっとする。
止めておけば良いのに、思わずそちらの方を向いてしまった私の馬鹿。
突然窓から出て来たのは、黒服に草色のベストと云う普通の忍装束を着て、
其れに加えて黒い布で鼻まで顔を覆い隠し、更に額宛で片目を隠した銀髪の男だった。
忍者だと云う事はよくわかる。
それはよく分かるのだが、窓から出て来る意味が全く分からない。
忍者って不思議な人達だよなぁと云うのが現在の私の、精一杯の見解である。
不審極まりないその忍者は、思わずものっすごく真顔でガン見してしまった私の存在に気付いてはいたようだが、
私を気にする事無く一瞬にして窓から飛び出し、瞬く間に其の姿を文字通り消してしまった。
とりあえず、私はあの銀髪の忍者に、こっそり「不法侵入者さん」と云うあだ名をつけた。
「不審者」としなかったのは、私のささやかな気遣いである。
…意味合いにたいした違いは無いが。
まだ陽の高い時間にナルトが帰宅する音が隣から聞こえてきて、少し逡巡する。
一応、昼間の「不法侵入者さん」の事を伝えておいた方がいいのだろうか。
しばし考えたが、結局私は余計な事は何も言わずにおくことにした。
妙な事に巻き込まれてもアレだし、隣からは別に騒ぎ立てるような声もしない。
何か取られたり荒らされたと云う訳でも無いのであれば、見なかった事にしておこうと結論付けて、
私は何事も無かったかのように再び洗濯物を畳む作業に専念する事にした。
ああ、平和だなぁ、なんて呟きながら。
もちろん、平和なのは私の頭の中の事である。
そもそも然程荷物も多く無いので、部屋を片付けると云ってもすぐに済んでしまう。
洗濯物を片付け終えてしまうとすぐに手持ち無沙汰になってしまった私は、久し振りに無意味に里の中を散策する事にした。
行ったらまずそうな処に近付きさえしなければ特に問題もないだろう。
住居や商店などのある通りは意外とノリがゆるい事に最近気付いたので、その辺りを中心にまだ通った事のない所を歩いてみる事にする。
何か主様や使用人仲間達への土産になるようなものでもあれば、幾らか見繕うのもいいかもしれない。
帰還時期は未だ未定なので何時渡せるかは分からないが。
もしくは、一度任務の進展状況を知らせる文でもしたためて其れと一緒に送りつけてしまおうか。
…何も進んでないです太刀全然見つかってないですとしか書けない文を受け取っても、主様をいらっとさせるだけだろうが。
今はいいけど帰ったときが怖いなそれ。無駄に悪寒を走らせて私はふるふると顔を振った。
おや、此処は、とふと立ち止まり、佇む一見の店を眺めやれば、いつの間にか一楽と云うあのラーメン店の前に来ていた。
そうかあそこの角をわざわざ回らなくても手前の道を真直ぐ行けば良かったのかと一人納得して頷いた。
私は別段ラーメンに興味は無いので、自主的に此処へ来る機会などもう無いだろうが。
そのまま綺麗に一楽をスルーしてもう暫く気の赴くままに漫ろ歩きしていると、赤い暖簾と幟が鮮やかな店を見つける。
白で桜の模様を染め抜いた幟には、同じく白で大きく「甘味処」とある。
文字通り甘味を売っているようである。そう云えばほんのり香ばしくて甘い香りがそこらに漂っていた。
空腹という程でもないが満腹という程でもない。今日の所はちらりと店をのぞくだけにしておこうと考える。
扉をとっぱらって開放された出入り口の近くに、赤い野点傘を差し掛け、緋毛氈に覆われた長椅子が設置してある。
其の長椅子を陣取って甘味に舌鼓を打つ一人の女性がいることには遠目からでも気付いていたのだが、
徐々に歩みを進めて店に近付くに連れて、その一見普通に見えた乙女の喫茶風景が、実はかなり異様な状況である事に気付いた。
気付かなければ良かったのだが、気付いてしまったのだから仕方が無い。不可抗力である。
(こんな所にブラックホールが発生しておりまする、主様。)
皿に山積みのみたらし団子。
其の隣りには、束ねて立てたら余裕で生け花が出来そうな、夥しい串の残骸が積み上げられていた。
そんな生け花は御免である。花より団子という慣用句も涙目だ。
そうこうしている間にも団子はどんどん減って行くし、串はどんどん散らかり行く。
若干、というかドン引きつつその惨状を作っている張本人を見遣れば、
やっぱりな、と頭の何処かで思いつつも、彼女の額に巻かれた忍者の証が其処にあるのを認識する。
忍者は人間を捨てなくちゃできない職業のようだ、いろんな意味で。ああ、女性の忍者はくのいちと呼ぶのだったか。
彼女は外見だけで云うなら、少しきつそうではあるが顔立ちは美しかったし、
出るとこは出ていてスタイルもよく、非常に魅力的な女性ではあった。
だがもう既に容姿云々とかそう云う問題ではないような気がして、私は満足げな顔でお茶を啜る彼女を見なかった事にして歩き去った。
此の里に来て、っていうか此の世界に来てからこちら、スルースキルばかりが磨かれて行く不思議。大層遺憾であります。
口にしてもいない団子で何故か胸焼けを起こしたような心地になりながら、
みたらし団子の大群があまりにも強烈なインパクトを放っていたので、
私は勝手にあのくのいちさんに「みたらしさん」というあだ名を付ける事にした。
昼に目撃した「不法侵入者さん」にあだ名をつけて以降、
私の中で、出会った忍者に勝手にあだ名をつけるのが密かなマイブームになっていた。
相手にとっては不名誉甚だしいだろうが、まさか本人に云う訳でも無し、その辺りは全く気にしない私である。
今迄に見掛けて印象に残っているが名前を知らない忍者さん達にも、あだ名をつけてあげようと余計な事を考えた結果、
角でぶつかった傷だらけの怖そうな人は「軍曹さん」、火影の所で会った黒縁眼鏡は「眼鏡さん」、
受付で額宛を逆に付けて針みたいなものを銜えてたのは「姐さん」。
其の隣りでずっと鼻をかんでいた黒髪の人は、かなり迷った挙げ句に、無難に「クロさん」にした。
実は鼻セレブとかネピアとかスコッティという候補が挙がっていた事実については、彼の名誉の為にも伏せておく。あ、云っちゃった。
でもスコッティと云うのも可愛くていいんじゃないかなとか正直割と本気で考えていた。
私ってばネーミングセンスに溢れ過ぎていて困ります、主様。扇で殴るのはやめてください、主様。
ちなみに、あのものすごい緑の忍者の人は私の中ですでに見なかった事になっているので割愛した。
残る一人、あの夜出会った日本刀を背負った忍者さんだけは、少し考えて、やっぱり「忍者さん」と呼ぶ事にした。
彼の人に付けるあだ名がどうにも思いつかなかったと云う事もあるが、
一番の理由としては、彼は、私の知る限り、一番「忍者らしい忍者」だったからだ。
だからそう呼ぶのが一番適切だと思った。実際、何だかしっくりきてしまうから不思議だ。
彼には随分と不審なところと情けないところを一緒くたに目撃されてしまい、少々気まずい心持ちだが、
何となく一方的な親しみだけはやけに感じていた。
(10.4.1)
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