黄昏の檻 7
数日後の夕刻、私はとある店の近くにて一人の少年と待ち合わせをしていた。
直接彼、ナルトと約束を取り決めた訳ではないのだが、共通の知り合いを介して呼び出して貰い、
ナルトがもっとも好きなものにて、先日の時計の御礼とすることにした次第である。
「おーいねーちゃーん!ねーちゃん!」
塀に凭れて腕を組み、ぼぅっと暮れてゆく空を見つめながら待っていた所に、やたらめったら元気な声が飛んで来る。
ようやく来たかと思って振り向くと、其処には予想に反して二人分の人影。
おや、と少し首を傾げていると、二つの人影のうち、大きい影の方、
イルカは申し訳無さそうに困惑混じりの曖昧な笑みを浮かべて、すみません、と小さく謝罪した。
「イルカせんせーもいっしょでいいよなっ」
自分はいいからと断ったが、むりやりナルトに引っ張ってこられたという所か。
にっこにこと音がしそうなくらい嬉しそうに笑って、同意をあまり求めていないニュアンスでナルトが云うので、
まぁ別にいいけどな、と8割の無関心と2割の歓迎を込めてにこりと微笑み、頷いてみせた。
私はあまり親しく無い人と食事を共にするのが苦手なのだが、イルカにも世話にはなったのでよしとしておこう。
口を開こうとしたイルカを遮るようにナルトに小さくお辞儀をする。
「ナルト君、先日はありがとうございました。
遅くなりましたが、ささやかながらこれにて御礼をさせて頂きたく。」
「やったー!!!」
声を上げる子供に対して、その傍らの教師はなだめるように彼に苦言を呈した。
はしゃぐ生徒に窘める教師。教師というよりはこれでは父親か。
なんとも微笑ましいものだと思いつつ、頭のどこかで其の様子を客観的に見る冷めた私がいた。
善き人々であるとは思うが、この空気は少し苦手だな、と思う気持ちを覆い隠すように私はただ微笑んだ。
「お代は私が持ちまする。遠慮なく好きなだけ頼んで下さいまし。」
遠慮するイルカを言いくるめて、と云うか、無視して、二人にナルトの大好物だと云う、一楽という店のラーメンをおごることにした。
ラーメン一つでこんなに喜んでもらえるとは安あが…子供らしくて可愛いものだ。
そして、私だけぼーっと座っている訳にもいかないので、私も一応ラーメンを一つ頼んでおくことにする。
うまいだの野菜も食えだのおかわりだのちょっとは遠慮しろだのと賑やかで楽しそうで何よりだ、と、
隣りに座るナルトとその向こうに座るイルカを横目に、私は静かにチャーシューを箸先で意味も無く突ついていた。
私、此の世界に来てからラーメンなんか食べたの初めてですよ、主様。
上品にアフターヌーンティーを楽しむ主様の姿を思い出し、私はひっそりと生暖かい思い出し笑いをした。
「そう云えば、ねーちゃんは木の葉のひとじゃねーの?」
「うん?」
薔薇色の記憶を必死に掻き消していたところへ唐突にナルトが私に話題を振って来たので、思わず瞬く。
そして、あぁ、と掛けられた質問の意味を飲み込んで頷いた。
「そうですね、私はとある方の屋敷で使用人をしているのですが、
此の度、主様の代理でこちらの里に依頼を持って参りました。
その関係上、しばらく此の里に滞在させて頂いております。
何時迄こちらにいるかはまだ未定ですが、暫しお隣をお借りしておりますので、どうぞ宜しくおねが…」
「そっか!こっちこそ、ねーちゃんすげーいい人だし大歓迎だってばよ!」
餌付けかよ!
思わずそう口走りそうになったのを微笑んで誤魔化した。
笑顔は最高のアイテムである。
(悪い子ではないのはよくよく理解しているのだが…。)
少年の隣りに座る常識人が苦労しているだろう事がよくわかってしまい、
彼らにあんまり深く関わるのもどうだろうとも思いながら、苦笑を飲み込んだ。
「すみません、オレ迄ごちそうになってしまって。」
喋り(主にナルトが)笑い(主にナルトが)食べ(主にナルトが)、すっかり夜も更けた頃に店を出て、
帰路に着こうかという時、イルカがまた申し訳無さそうに云うので、謙虚なのはいいが難儀な人だと思いつつ、
私は気にしないでくれと云い、にっこりと微笑んだ。
「いいんですよ、どうせ、私の金じゃないんで。」
「………」
慇懃に取り繕うのが面倒になった末の正直過ぎる大惨事である。
微妙な表情で、云うべき言葉を探しあぐねて黙る二人を綺麗にスルーして、私はおもむろに懐中時計を取り出す。
どうやら楽しくて時間を忘れてしまっていたらしく(主にナルトが)、いつの間にか随分良い時刻になっていたようだ。
「それでは、私は此れにて失礼させて頂こうと思いますが。」
ぱちりと時計の蓋を閉じて促せば、二人は気を取り直して私に同意した。
イルカとは途中で別れ、私は必然的にナルトと共に帰る事になる。
まぁ、部屋が隣だから当然の流れである。あえて別々に帰る意味が分からない。
ぱたぱたと隣を歩きながら、近所迷惑にならない程度に声を落として話しながら帰る。
「なぁ、あの時計ってさ、そんな大事なもんだったのか?」
ふと思い出したように問いかけてくるので、ゆるく頷いて返す。
遠くの夜空を眺めやりながら、のんびりと口を開いた。
ああ、星座なんてちっともわからないけれど、星がとても綺麗だ。
「そうですね、此の懐中時計は、別段とても高価と云う訳でも、稀少という訳でもありません。
他人にとってはただのありふれた時計でしかありません。
しかし、此れは私が主様から頂いた、思い出深い品なのです。
気持ちに値段はありませんでしょう。
だから、此れは私にとってだけ価値と、意味と、必要性のあるものなんです。」
だから君にはとても感謝していますよ、と云うと、彼はわかったようなわからないような顔をして、
結局、此れが私の大事なものである、という分かりやすい結論だけは理解してくれたようであった。
…まぁいいか。彼にこんな事を云っても詮方無い。
「…まぁ、そんな大事な時計を落とす私も私なんですけどね。」
「あははっ!ねぇちゃんてば案外ドジなんだなぁ!
でもなんだってあんなとこに落としたんだ?
演習場のへんなんてなーんも無くてつまんねーだろ。」
それは君にだけは云われたく無い、と大人げなくも云いそうになるのを理性で押し留めつつも、
痛い所を突かれてしまい、けれど其れを話す気はさらさら無いので温く笑って誤魔化した。
これだから子供ってのは直球過ぎて困る。
ので、無理矢理話題を変える事にした。
「そう云えば、ナルト君は、額宛というのかな、あれは付けないのですか?」
「…ねぇちゃんてほんとに何も知らねーんだな。」
ちょっと拗ねたようにじっとりとした視線を送って来るナルトに首を傾げつつもにっと微笑んで、
私は忍者ではありませんから、と、しれっと云う。
「額宛はアカデミーを卒業したら付けられるんだ!」
よくそうもくるくるといろんな表情が出来るものだと思う程、彼は全身で感情を表現する。
先程の不機嫌そうな顔はいつの間にやらわくわくと希望に満ちたものに代わっており、
もうすぐ卒業試験があってそれに合格したら晴れて正式な忍者として認められるのだと云う。
試験内容が苦手なものだったらどうしようと落ち込み、そうかと思えば絶対受かって火影になるのだときらきらした眼をする。
私は彼を観察しながら、火影とは世襲制ではなく実力で勝ち取るものなのかしらと関係ない所で考え事をしていた。
「なるほど、そういう仕組みになっているのですねぇ。知りませんでした。
…私は今迄ずっと主様のお屋敷からほとんど出た事がありませんし、
実は、此の里に来て初めて忍者さんを生で見たんですよ。」
一番驚いたのが、案外目立つ忍が多い事だった、と云うのは黙っておいた。
「そーなの?」
「そーなのです。だからこないだなんて思わず、
忍者さんに向かってうっかり『忍者みたいですね!』と云ってしまいましたよ。」
そう戯けてみせればナルトはけらけらと笑う。
少し考えて、この子供に聞いて疑問が解消できるかどうかは分からないが、気になっていた事を尋ねてみる事にした。
「あの、ナルト君、一つ聞きたいのですが。
…忍者さんに名前を聞くのって、失礼にあたるでしょうか?」
「何いってんだ?名前なんて聞かなきゃわかんねぇじゃんか。
でなきゃどうやって呼ぶんだよ?」
さも当たり前のように、不思議そうな顔で返されてしまい、逆にこちらが戸惑ってしまう。
質問する相手を間違えたかとも思ったが、しかしながら、彼の答えも、其れは其れでいいような気がした。
やっぱり時計云々の事を抜きにしても、せっかくだからあの忍に名前を聞いてみたらよかったなぁと考える。
今度からは、忍者にあっても名前はちゃんと尋ねてみようと密かに決心する。
まぁ、怖く無さそうな人に限るが。火影に呼び出された時に曲がり角でぶつかってしまったような、
ああいう怖そうな人にまでフレンドリーに「あんた名前なんつーの?」とはとても聞ける訳が無い。
つまらない事ばかり考える自分に呆れながら、ですよねー、と、彼に同意して笑い飛ばした。
(10.4.1)
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