黄昏の檻 6

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

適当にその辺にあった食堂で空腹を満たした所で、往生際が悪いとは自覚しつつも、

もう一度朧げな記憶を頼りにあの訓練場を探してみる事にした。

辿り着けるかどうかはわからないが、日中の明るい時間帯ならば迷ったとて誰かに道を尋ねる事も出来るだろう。

 

緩やかな風が髪を撫で、顔に掛かった髪の一房を払い除けたとき、ふと左手の甲に皮膚の引き攣れたような痛痒さを感じた。

何だろうと首を傾げながら、痛みを感じた小指の根元辺りを見遣れば、塞がりかけの引っ掻き傷があるのに気付く。

傷の周囲には血を擦ったような痕跡があり、あ、と昨夜の自分の行いを思い出して得心する。

 

そう云えば、金網殴ったとき、なんか痛かった、ような気が、します。

そこそこ血が出ていたらしいその傷に、今の今迄全く気付かなかったとは、自分の焦りっぷりが今になると何だか笑えて来てしまう。

 

どうせ当分は此の里から身動きできないんだ、滞在時間をフルに使って虱潰しに探しまわってやる。

他人の視線ももう知った事か。私から見れば此処の人間の方がよっぽど変わり者の集まりだ。

御得意の適度な無関心と無責任な自己完結が遺憾なく発揮された瞬間であった。

 

何度も道を間違え、知らない場所に出てはその度に元来た道を戻り、時々休憩し、また歩き回る。

そんな事を繰り返した末に段々道を覚えて来た自分の進歩を自分で褒めながら、

どうやらようやっと昨夜の訓練場みたいな場所に辿り着けたようだ。要するに、里の外れに来たという事なのだろう。

 

金網に囲まれただだっぴろい広場と、其の奥に鬱蒼と茂る濃緑の森。

しかしよく観察してみれば、どうも昨日の場所とは少し違うようだった。

訓練場なんて皆似たような風景なのだろうと、落胆することも無く早々に諦めを付け、

地面に小さな真鍮の輝きが置き去りにされていないかどうか確認しながら、金網沿いに歩いて昨夜と同じ場所を探す。

 

あの刀を背負った忍か、もしくは他の誰かに拾われているだろうか。

それとも、と、じわじわと蓋をしていた筈の不安が滲み出すのを止める術は無かった。

 

 

 

 

 

 

深い森の傍だからだろうか、気付けばどうやら早くも夕暮れに差し掛かる頃合いらしい。

今日の所はもう切り上げて、部屋に戻るとしよう。もしかしたらライドウから何か連絡があるかもしれない。

そう考えて踵を返そうとしたとき、突然何処からか威勢の良過ぎる野太い大声が響いて来て、思わず小さく飛び上がる。

 

「よぉし、勝負だぁぁー!!」

 

ぎゃっ。

何だ、何事だと辺りを見回すと、少し離れた先の、金網の傍で、何やら人影が二つ見えた。

一人は木の幹に隠れて此処からでは姿が見えないが、文庫本を片手に相手の正面に立っているようだ。

そしてもう一人は、と、眼を凝らした瞬間、眼を凝らした0.5秒前の自分を殴りたくなった。

 

何だあれは。

草色のベストはともかく、此の距離からでも分かる程に眉毛の太い濃過ぎる容貌に、緑色の全身タイツみたいな服装。

しかもベルトのように腰に巻き付けてあるのはどうやら忍者のトレードマーク、額宛に見える。

あんな忍者厭だ。…まぁあんな一般人はもっと厭だが。

 

瞬時に関わる事を拒否した私は、何も見なかったと己に云い聞かせながら綺麗に踵を返し、足早にその場を立ち去る事にした。

一日の締めくくりの出来事としてはインパクトが強過ぎて気が重い。

しかし其の衝撃で、時計を見つけられない焦りがちょっと吹き飛んだのは僥倖、と、云って、云えなくは、無い。ような気がする。

 

緑色のものすごい忍者の人と向かい合っていたもう一人の人は、彼の友人か何かだろうか。

だとしたらいろんな意味でちょっと尊敬する。

そんな事を考えながら必死で里の中心あたりまで戻って来たとき、かなり息が切れていた。

本当に心臓に悪いことがよく起こる里である。

おうちかえりたくなってきた。はもう挫けてしまいそうです、主様。

 

 

 

 

 

 

此の里に滞在してからと云うもの、何かと逢魔ヶ刻に縁があるように思う。

鴉が鳴くから帰りましょ。

巣に戻り行く鳥達を見送りながら家路に着けば、黄金色と躑躅色の柔らかなグラデーションが里の空を満たす。

 

見事なゴールデンアワーに少し心を癒しつつアパートに戻れば、偶然にもその階段を上がって行く少年忍者の姿。

ああ、今朝のオレンジの子か、と認識した所ではっとした。

少年がどことなく上機嫌に摘まみ上げて眺めている其れに釘付けになる。

え、ちょっと待って、其れって!

 

「あ、あの、すみません!其処の少年!待って下さい!」

 

気付いたら私にしては珍しいくらいに声を張り上げて、少年を呼び止めていた。

三階迄の階段を上りきり、ちょうど廊下へと曲がろうとしていた少年忍者は、

すぐにきょろきょろと辺りを不思議そうに見回すと、慌てて階段を上り自分を追いかけてきた私に気付き、

幼い顔を少し怪訝そうに顰めて首を傾げていた。一応は私を待っていてくれているらしい。

(ちょっ、階段!三階分駆け上がるのはきつい!)

 

「…すっ……すみま…はぁ…っ…!」

 

何とか少年のいる三階迄階段を上りきったのはいいが、焦る気持ちに身体が着いて行かずに息も絶え絶えなのを察して、

少年は黙って、しかし相当呆れ返った様子を隠しもせずに私を眺めながら、私の息が整うのを待つ。

子供は正直だなちくしょう!だから私は体力が無いんだと云ってるだろ!

内心激しく見当違いの八つ当たりしながら、はぁっと一つ息を吐いて改めて少年に視線を向けた。

 

其の右手に握られているのは、やはり、薔薇の細工が施された、懐中時計。

何だか無駄に泣きそうになりながらもはやる気持ちを落ち着け、きちんと理論立てた文章を頭の中に構築する。

云いたい事は正しい順序と適切な言葉を選んで喋らなければ、正しく通じてくれないものだ。

 

「突然呼び止めて申し訳ありません。

 わたくし、現在あなたの隣室に滞在させていただいております、と申します。

 実はわたくし、昨夜大事な懐中時計を落としてしまい、探しているところなのですが、

 あなたがお持ちのその時計を、少し見せては頂けませんか?

 御願いします。」

 

少しつっかえながらも早口で捲し立てるように云い、深く頭を下げた。

少年は、私の鬼気迫る必死さに対してかいきなり頭を下げられた事に対してかは分からないが、

ひどく面食らった様子で、その縹色の眼を大きく見開いて私をぽかんと見遣った後、

別にいいけど、と呟きながら、我に返ったようにおずおずとその右手を私に差し出した。

 

そのまだ小さな子供の手は、よく見れば豆が潰れた後や傷跡の残る「忍者」の手であることに気付く。

失礼します、と一言断ってその手からそっと懐中時計を摘まみ上げる。

 

表には一輪の薔薇の模様が細かく彫り込まれ、裏には私が以前つけてしまった傷と、落とした時に出来たであろう新しい傷が一つ。

かちりと蓋を開いて確かめれば、見慣れた文字盤と、規則正しく時を刻む黒い三本の針。

手に馴染む真鍮のそれは、間違いなく私が主様から賜ったあの懐中時計である。

 

「あの、これ、一体何処で…」

 

昨夜からずっと消えない不安と共に蟠っていた焦りがようやく解きほぐされ、一気に気が抜けてしまった。

随分と情けない声音でそう問えば、少年はまだ少し困惑しながらも段々状況が理解できてきたようだった。

 

「今朝、第一演習場の傍で拾ったんだってばよ。」

 

「第一…えーと、もしかして、この里の外れの方って云うか、

 森の傍の、金網に囲まれた感じの所ですか?」

 

「え?あー…よくわかんねぇけど多分そこじゃねぇかな。

 それ、姉ちゃんの探してた奴なのか?」

 

「はい、そうです、…そうです!ありがとうございます本当にたすかりましたありがとう!

 よかったです、あぁもうほんとよかった見つからなかったらどうしようかとおもったまじ焦った死ぬかと思った…!!」

 

被っていた猫はとっくに脱ぎ捨てられていることに今更ながら気付いたが、取り繕った所で、それこそ今更だ。

安堵のあまり懐中時計を抱き締めながら突然その場にしゃがみ込んだ私を、少年は若干引きながら眺めていた。

 

「ま、まぁ、探しもんが見つかってよかったってばよ!」

 

額に掛けているゴーグルの位置を直しながら、多少苦笑い気味ではあるが、少年はにかっと笑って頬を掻いた。

照れを隠すような少年の表情に年相応の子供らしさを見て少し微笑ましくなり、立ち上がってもう一度頭を下げて礼を云う。

 

「本当にありがとうございます。此れは私にとって、本当に大事なものなんです。

 拾って下さったこと、心より御礼申し上げます。

 それで、失礼ですが、お名前を伺っても宜しいでしょうか?」

 

忍者でも、子供にならば、名前が聞ける。

自分のチキンぶりがいっそ清々しいと思った瞬間だった。

 

「オレはうずまきナルト!

 オレってば将来火影になる男だから、此の名前しっかり覚えててくれよな!」

 

 

………。

今朝、彼と里の将来を勝手に心配していた経緯を思うに、

ナルト少年の無邪気で晴れやかなその笑顔は、なかなかに直視しづらいものがあった。

若干視線を外しながら、おうえんしております、と曖昧な笑顔で呟けど、棒読みになってしまった感は拭えなかった。

 

「それでは、ナルト君、すみませんが今日の所はこれで失礼させて頂きます。

 後日、改めて御礼に伺います。ありがとうございました。」

 

気を取り直した所でそう切り出すと、ナルトもまたにかっと笑ってさよならを云い、

私達はそれぞれの部屋へと帰って行った。

と云っても、まぁ、隣同士なんだが。

 

御礼、何がいいかなぁと考えながら、握り締めたままだった手をそっと開き、

真鍮の滑らかな手触りを感じて安堵の溜め息を吐いた。

明日も朝一で受付処へ行き、ライドウに報告に行かなければ。

見るかるといいですねと云ってくれたあの彼に対しても、私はとても感謝していた。

 

(しかし、なんとまぁ、長い一日だったことか。)

 

何だかどっと疲れを感じて、私は宵の迫る薄暗い部屋で一人、がっくりと項垂れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も忌々しい程に眩しく美しい青空だ。

ベッドにぐったりと横たわったまま眩しい窓越しの空を見上げ、もとい睨み上げ、目覚めて早々舌打ちをした。

悪態を吐いたものの、特に其の行動に意味は無いのだが。

 

身体は正直だ、昨日の事もあり、今朝はついつい寝過ごしてしまった。

慌てて支度をして家を出る。隣室が静かな事から、ナルトは今日は遅刻せずに出掛けているのか、はたまた寝ているのか。

そんな事を考えながら、すっかり覚えてしまった道を行く。

 

いろいろなことがあったせいか、此の里を出歩くのにも少しは慣れたのかもしれない。

顔と名前を知っている程度ではあるが、少しずつ知り合いが出来て来たせいでもあるのだろう。

 

(ああ、でも、あんまり此処に慣れてしまいたくは無かったんだけどなぁ…。)

 

苦笑しながらそんな矛盾した事を考える。

見知らぬ地に一人でいるのはつらいが、馴染んでしまいたくも無い。馴染んでしまえば、離れ難くなるではないか。

私はあくまでも一時滞在者であり、私の戻るべき場所は主様のいるあの岸辺のお屋敷なのだ。

主様にまだまだ恩も返しきれていない。

此の里に来た当初の目的を危うく忘れる所だったが、必要なのは知り合いではなく黄金の太刀だ。

 

再び足を踏み入れた受付処だが、どうも私はタイミングが悪いようで、

今日はライドウの姿は見えず、その代わり昨日いなかったイルカが其処に居た。

皆して私を謀っているのではあるまいな、とくだらない事を考える。

 

「こんにちは。」

 

「あぁ、さん。こんにちは!

 …すみません、まだ依頼の方、吉報は入ってこないようでして。

 御待たせしてしまって申し訳ない。」

 

どう声を掛けて良いか考えあぐねた結果、無難に挨拶してみたのだが、イルカは相変わらず愛想良く会釈する。

彼は依頼の件について触れ、心底申し訳無さそうな顔をした。

 

「いえ、私は待つ事が仕事ですので、お気に為さらず。

 ところで、実は昨日…」

 

「ああ、確か、懐中時計を探しているんでしたよね。

 ライドウさんから聞いてますよ。」

 

「あの、それなんですが、実は昨日の夕刻、偶然拾って下さった方にお会いしまして、無事見つける事が出来たのです。

 今日はそれをライドウさんにご報告に上がったのですが…今日はいらっしゃらないみたいですね。」

 

「ライドウさん、今日は非番なんですよ。よろしければ自分の方からちゃんと伝えときますんで。」

 

「それでは、すみませんが、宜しく御願い致します。

 古屋が心より御礼申し上げていたとの旨、御伝え頂ければ有り難く存じます。」

 

本当は直接きちんと御礼を云いたかったのだが、仕方が無い。

お言葉に甘えて伝言を頼んだ所で、イルカは改めて微笑み、

見つかってよかったですね、と、ライドウと似たような事を云うのが何だか可笑しかった。

私の人選はどうやら間違っていない。イルカもライドウも普通に親切な良い忍者であったと勝手に納得して頷いた。

 

「しかし、偶然とはいえ、よく拾い主に会えましたね。」

 

「本当に。しかも、拾って下さったのは、私がお借りしている部屋の隣に住んでいらっしゃる少年でして。」

 

「はぁー…そりゃまたすごい偶然ですね。」

 

「ナルト君にはまた改めて御礼をしないといけないと思っ…」

 

「えっ!?」

 

つらつらと世間話の要領で会話していた時、ふと私がその少年、

ナルトの名前を口にした時、イルカは大袈裟なくらい驚いた声を上げ、眼を見開いた。

私は何かおかしな事を口走っただろうかと困惑に首を傾げて見せると、

彼がもう一度少年の名前を問い返すので、うずまきナルト君です、とフルネームを口にする。

 

「いやぁ…すみません、実はそいつ、俺の生徒でして…。」

 

お前の生徒かよ。

笑えば良いのか顔をしかめれば良いのか驚けば良いのか、そんな気持ちのごちゃまぜになったような顔をしたイルカが云うに、

どうやら彼は普段は忍者の学校、アカデミーで教師をしており、そこで担当しているのがナルトのいるクラスなのだと云う。

ちなみに、受付の仕事は学校が休みの時や、授業の無い時に回されるようだ。

成る程、其れを聞いて、昨日ナルトが急いで出掛けていたこととイルカが受付に居なかったことの理由が綺麗に繋がった。

何と世間の狭い事か。

 

「そうでしたか、それで…。

 ちなみに、昨日ナルト君は遅刻せずに、授業にはちゃんと間に合いましたか?」

 

得心のいった私が、ふとにやりと笑ってそう云うと、イルカは何も言わず、苦笑いで返事を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

next.

 

(10.4.1)

 

 

 

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