黄昏の檻 5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じりじりと胸に焼け付く焦燥を噛み殺しながら、胡座をかいてベッドの上に落ち着きなく座り込む。

時刻は既に深夜0時をまわっており、車もコンビニも無い此の世界の夜はしっとりとした暗闇の底、静寂がたゆたう。

いつもなら好ましい其の静寂も今はただ焦りを増長させるばかりで、胸元で手を握り締めながら舌打ちをする。

 

里の外れで出会った忍の男はあの後、全くもって律儀にも程がある律儀さで私をアパート迄きっちり送り届けてくれた。

私を害することが無いと分かれば夜道の供にこれほど心強い者もいるまい。

何たって忍者だもんな!

 

仕事を確実にこなす彼の真面目さは理解できたし、断る理由も無かったので遠慮なく送り届けてもらい、漸く帰宅した迄はよかった。

さっさと着替えて眠ってしまおうと、身に付けているものを外す為にまずは懐に手を入れたのだが、

其処にあるべき感触が無くなっている事に気付き、首に刃物を突き付けられた時とはまた違う意味でざぁっと血の気が引くのを感じた。

 

無い。

あの薔薇の細工が彫り込まれた、真鍮の懐中時計が無い。

冗談じゃない。

あの懐中時計は私の持ち物の中でもっとも大事な、一番無くしてはいけないものなのに。

 

 

 

喉の奥が灼け付くような心地で、働かない頭を必死に動かして考えるが、どんなに頑張っても記憶の中からは手がかりが掴めなかった。

黄昏時に部屋を飛び出した時には確かにあった。部屋に置き忘れていたという可能性はほぼ無い。

だとすると、あとはもう其れ以降、ふらふらと里内を彷徨っている時に無くしたとしか考えられなくて愕然とする。

 

闇雲に歩いていたのでどの道順を辿ったかなんてほとんど覚えていないし、

何より陽も落ちた薄暗い時間帯の事だ、景色を頼りにあのとき通った道を探すのも難しいだろう。

 

…いや、待てよ。待て待て待て。

そもそも、いくらふらふらしてたからって、しっかりと懐にしまい込んでいる懐中時計がそう簡単に落ちるか?

いくらぼーっとしていたからって、歩いてて懐から金属の塊が飛び出したら、

どれほど私が鈍臭かったとしても流石に気付くだろう。…多分。

 

「………あいつか!!」

 

一番可能性の高い推測に思い至って、思わずがっくりとベッドに両手を付いて項垂れる。

恐らく、あの時だ。

刃物を突き付けられたり倒れかけたりして相当テンパってたあの時以外、

大事なものを落としてまるで気付かないなんて普通はあり得ないじゃないか。

…まぁ、鬼気迫る顔で金網殴ったりしてた自分の奇行は棚上げするとして。

 

先程送り届けてもらってようやく帰宅できた経緯を思えば、此の真夜中に再び出歩くのは地理に明るく無い私にとって得策とは云えない。

そもそも夜にふらついていて痛い眼にあったばかりである。

探しに行くにも朝日が昇る迄は動き様が無い。

 

(あ、そうだ、あの忍者の人にあそこの場所とか時計を見掛けなかったかとか聞いて…あ、駄目だ、名前知らねー!)

 

布団の上で一人悶絶する様は、端から見て非常に気味が悪い事は自覚していたが、正直今はそんなことは瑣末事だ。

(あと私が挙動不審なのは今更だ。)

 

送り届けてもらう道すがら、私達は特に話題もないのでほとんど会話らしい会話を交わさなかった。

男はあまり口数の多い類いの人間ではなかったし、私も其の沈黙が厭ではなかった事もあり強いて口を開かなかったのだ。

しかし何より私が口を噤んだ理由としては、忍者と云う特殊な職業の相手に対して、

何処迄踏み込んでいいのか、その距離を量りかねたからだった。

さして必要でもない間に合わせの世間話で、いたずらに相手を不快にさせる事もあるまい。

 

そんな理由から個人情報に関する質問をすることは何となく憚られて、

結局男の名前を敢えて尋ねる事をしなかったのだが、その配慮と若干の無関心がこんな形で裏目に出るとは思いも寄らなかった。

私は彼に関しては此の里の忍であるらしいと云う事しか分からないし、

男の特徴を伝えて誰かに尋ねたとしても、本人に辿り着ける可能性は低いように思われた。

それもそうだろう、幾ら小さく閉鎖的な場所と云えど、一体此の里内にどれだけの人数の忍がいることか。

 

(まずいな…どうしよう…。あーもー何かまた泣きたくなってきたよいろんな意味で。)

 

深く、深く絞り出すように溜め息を吐き、眼を閉じる。

今此処でこうして焦っても詮方無い。夜が開けない限りは動き出す事も出来ない。

 

此の里で私とまともに面識がある人と云えば、イルカくらいだ。(火影はそうそう気軽に会える立場の人間ではないから除外する。)

朝一で取り敢えず受付処に行き、まずは時計捜索にあたっての必要事項をあの受付忍者に尋ねる所から始めよう。

まぁ彼でなくとも、相談や来客応対に慣れた、なるべく人当たりの良さそうな者であれば誰でもいい。

そんな予定を自分に言い聞かせるように並べ立て、そのままベッドに潜り込んで無理矢理眼を閉じた。

 

夜明け迄のほんの数時間、浅い眠りの中をゆらゆらと漂いながら、私は少し懐かしい夢を見ていた。

まだ此の世界に来て間もない頃、右も左も分からなかった私に、不敵に微笑みながら真鍮の懐中時計を差し出した主様のことを。

 

 

 

 

 

 

不安からか普段よりも早く目が覚めた。

眠りについた時刻が時刻だったのでどうにも余り疲れは取れていなかったが、

使用人の仕事をしていた時よりはましだと考え、冷たい水で顔を洗う。

そわそわと落ち着きなく支度を整えた所で、忍者の活動時間なんて知らないが常識的に考えて流石にまだ早すぎると思い直す。

 

無意識に時間を確認しようと懐に手を伸ばしかけて、苦笑する。

其れを無くしたから、こんなに一人で大騒ぎしてるんだろうに、と。

 

 

 

 

はぁっと肺の中の空気を絞り出し、早朝特有の、夜の名残を含んでしっとりと澄んだ空気を吸い込む。

知らない匂いの部屋にも些か慣れて来た。

忍者って云うくらいだから探し物だって得意なはずだ。(忍者をなんだと思っているのかと云われそうだが、私は大真面目である。)

大丈夫だ。大丈夫。

 

…主様は、恐らく、頂いた時計を無くしてしまったことを告げてきちんと謝れば、

は本当にどんくさいわねぇ!と呆れて扇で私を小突き、あっさりと許してくれるだろう。

そして代わりの新しい時計さえ与えてくれるだろう主様の性格はよくよく理解しているつもりだ。

使用人生活は伊達じゃない、You see?…あ、やべ、何か違うの降臨しちゃった。

 

ともかく、懐中時計を無くしても、大雑把に云えば誰も困らない。

けれど私にとってはあの時計に代わるものなんて無い。

主様にとってはただの気まぐれであったとしても、私にとってあの懐中時計は、

現状に困惑する事しか出来なかった自分を、初めて主様が信用してくれたその証であるように感じていたからだ。

 

寄る辺無く不安を裡に押し込めながら、一般的な人の活動時間になるのを待ち、

私は靴を履くのも間怠っこしく思いながら部屋を飛び出した。

部屋を出て左側に階段があるので、さっさと階段へ向かおうと扉を閉めて踵を返したかけた其の瞬間、

 

バタン!「うおぉぉ遅刻だってばよぉぉぉ……」バタバタバタ…

 

 

 

いきなり出端を挫かれた。

 

 

 

階段へ振り向いた途端、私の部屋の左、階段に近い方の隣室の玄関扉が吹き飛ばされるような勢いで突如として開き、

その唐突で大きな音にびくっと肩を竦ませている端から、眼の覚めるような、いや、眼の痛くなるような、

鮮やかなオレンジ色の塊が中からものすごい勢いで飛び出し、叫びながら走り去って行った。

素晴らしいドップラー効果である。

 

開いた反動で勢い良く閉まった隣室の扉をぽかんと見遣り、鼓膜がびりびりするのを感じながら、思わず固まる。

そして、いろいろと突っ込みたい所は山程あったが多過ぎて突っ込みきれない。のでとりあえず。

 

「…他人が焦ってるのを見ると、逆に冷静になれるもんだ…。」

 

そう呟きながら、とりあえず落ち着いて部屋に鍵を掛けた。

反面教師どうもありがとうございます、オレンジの塊よ。

 

 

 

 

ことことと足音を鳴らしながら階段を降り、受付処へと向かう道すがら、私は先程の出来事を反芻しては呆れ返っていた。

隣室から飛び出したオレンジ色の塊、それは一瞬しか見えなかったが、

身に付けたポーチ等の持ち物からしてどうやら一応は忍者のようであったのだ。

 

私よりも随分と背の低い少年の小柄な後ろ姿を見るに、まだ年端も行かぬ子供らしい。

目立つ金色の髪と服の色、そして何より其の言動を鑑みるに、日頃からやけにどたばたと足音のうるさい事に納得がいった。

…余計なお世話かとスルーしてみたものの、本当に隣室の彼が忍者なのだと知ってしまうと、

何だかいろんな意味でいろんな事が不安になって来たのは私の気のせいではないと思うのだ。

 

主様、わたし、此の里の将来が心配です。

それこそ余計なお世話である。

 

 

 

 

そうしていつの間にやら辿り着いていた目的の建物に無駄にそぅっと入って行くと、

私の抱いていた希望に反して、受付にはイルカの姿は無かった。

今日はとことん出端を挫かれる日らしいと内心がっくりと肩を落としつつ、

気を取り直して瞬時に一番話の分かりそうで親切そうな人を探す。

 

しかしながら、まだそう来客の多く無い時間帯のせいか受付に詰めている人数自体が少なく、

そうそう飛び抜けて話し掛けやすそうだと感じる人は居ないように思われて、チキンハートな私は怖じ気づく。

もう出直そうかなとも考えたが、足を踏み入れておいて、相手の顔見て踵を返すのも不審過ぎる。

別に悪い事をしている訳じゃないんだから、何でこんなに私が怯えなきゃいけないんだと思い至り、段々逆に腹が立って来た。

だがまぁそれはただの逆切れである。

 

開き直ったように結局手近な受付忍者に話し掛ける事にしたのだが、

無意識に一番まともそうで普通そうな人を選ぼうとする私にもちろん非は無い。断固無い。

 

額宛を逆向きに付けて額の所で結び、なんかよくわからん針状のものを銜えている人。

黒髪のつんつんと跳ねた、しょっちゅう鼻をかんでいる人。

右頬に火傷の跡のある人。うん、この人が一番普通だ。

其処迄の事を一瞬で考えて判断した私は、迷わず火傷の跡のある受付忍者の方に足を向けた。

 

「すみません、わたくし、岸辺の使いで参りましたと申しまする。

 少々御尋ねしたい事があるのですが、よろしいでしょうか。」

 

「何でしょう?」

 

いつものように外面を取り繕い、極力丁寧な言葉遣いで声を掛けた私を見遣り、彼ははきはきと返事を返す。

あ、よかった、普通の人で。と、やや失礼な事を思いながらもそんな事は一切顔には出さない。

 

「実は昨夜、此の里のどこかで大事な懐中時計を落としてしまいまして、困っているのです。

 もしやどなたか拾って下さってはいないだろうかと思ったのですが、

 このような場合、どちらに申し出れば良いのか分からず、こちらにお声を掛けさせて頂いた次第に御座います。」

 

お忙しい中申し訳御座いませんとゆるりと頭を下げると、受付忍者は構わないでくれというようなことを云い、

私の探し物の色や形や特徴、私の連絡先を尋ねて手元の紙にメモを取る。

 

「御探しのものが何処かに届けられていないか、

 もしくはそのようなものを見つけたらこちらに届けるよう、呼び掛けておきましょう。」

 

「…本当にすみません。ありがとうございます。」

 

依頼と云う訳でも無い、あちらにしてみればほんの些細でしょうもない事であろうに、

それでもきちんと対応してくれた事に頭が下がる思いだ。

普通とか云ってごめんよ火傷の忍者さん、とか思いつつも、申し訳無さに思わず苦笑して礼を云った。

 

「見つかると良いですね。」

 

少し眼を細めてそんな事を云う目の前の忍者が眩しかった。うわ、すごいいい人だよ此の忍者さん。

彼は最後に思い出したように自分の名前を名乗り、見つかったら自分から連絡を寄越すと云ってくれた。

彼は、火傷の忍者さん改め、並足ライドウさんとおっしゃる。

 

うん、なるほど、やっぱり普通の人なんですね、わかります。

にこりと微笑みつつも、感謝した傍から失礼極まりない事を考える罰当たりな私であった。

 

 

 

 

 

時計に関しては一応打てる手は打ったので、此れ以上は余り考えないことにする。

しかしながら昨夜の出来事や訓練場らしきあの場所に関しては、ついぞライドウには何も云えず終いであった。

あんな何も無い、一般人なら近付く必要の無い場所に行く事自体不自然だし、行った時間も合わせれば怪しい事此の上無い。

 

刀を背負ったあの忍者についてもまだ少し気になっていたけれど、それを尋ねれば出会った経緯まで芋蔓式に白状せねばならなくなる。

所詮私はただの余所者であり一時的な滞在者に過ぎない。プライベートなことまで話すつもりは毛頭無かった。

ただ、ライドウがわりとあっさり名前を名乗ったことを考えると、やっぱり名前くらい聞いてみてよかったのかもしれないと思った。

忍者の常識なんて一般人には考えもつかないよなぁと声無く呟けど詮方無い。

 

そんなこんなで受付を出て、近くにあった小さな公園のベンチに腰掛け、まるでずっと呼吸を忘れていたような心地で深呼吸する。

少し陽は高くなって来たが、まだ朝方と云って相違無い。

公園に設置された時計を見上げて眼を細める。

此の時間は本物じゃない、あの懐中時計の時間こそが私にとっての本物の時間なんだ。

 

頭を過る馬鹿な考えを払拭しながら、気持ちを切り替える。

まずは昨夜から全く回転しやしない脳に栄養をぶち込んでやらねばならぬ。

しっかりと顔を上げて立ち上がり、背筋をきゅっと伸ばす。

うん、食事しよう。

まずはそれからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

next.

 

(10.4.1)

 

 

 

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