黄昏の檻 17
拝啓 親愛なる我らが主様
光陰矢の如しとはまさに此の事ではないでしょうか。
主様に帰って来るなと非情な命を受けて追い出さ…送り出されてから、早いもので一年が過ぎました。
木の葉隠れの里という地にも随分と慣れ、こちらの皆様にも非常に良くして頂いております。
相変わらず忍者っぽく無い忍者の多さに呆れ返…じゃなくて、親しみを感じる日々に御座います。
…所で、私、近頃考えずにはいられません。
主様、私の事も太刀の事も、もしかして忘れていらっしゃいませんか?
脳内便箋でそんな手紙を綴っては、脳内郵便に出してみるも、まぁ要するにただの妄想に終わる訳だが。
確かに主様にお知らせできるような事は依然何も無いのだが、それにしたって一度バイトの許可を求める遣り取りをして以降、
私は主様とも使用人仲間とも、全くの音信不通状態であった。
しかも段々其のことに違和感を持たなくなってきている事にはっと気付き、
もしかして私がこうなのだから、主様も実は結構私の事とか忘れてるんじゃないのかと最近よく思うのである。
そして悲しいかな、其の考えを否定するには、私は主様の事を理解し過ぎているようである。
(あり得るから怖いわ…。)
確かに私も当たり前のように此処で生活するようになって久しく、
もし今更になって、太刀が見つかったからすぐに屋敷に戻れ、と云われても、きっと私は困惑してしまう。
友達、と呼べるくらいには仲良くなった人もいる。
私を気に掛けてくれる優しい人達がいる。
早く屋敷に戻り主様への恩をお返しせねばと思う自分の其の隣りに、
此処での生活を手放したく無いと思ってしまう自分がいることに気付いていながらも、それはもうどうしようもなかった。
心とは誠にままならぬものである。
其れはそうと、友達になった人の一人と云うのは、何を隠そう、あの、「みたらしさん」である。
私も甘いものは例にもれず割と好きな人間なので、以前見つけた赤い暖簾の甘味処の他に、
紅に教えてもらった里で一番人気があるという甘味処にも時々訪れていた。
あの非常に分かりやすい看板は確かにインパクトも一番だな、と店を遠目から見遣って、やや引いた事は記憶に新しい。
串団子の形の看板にでかでかと「だ ん ご」の文字。
…うん、非常に分かりやすい看板である。
里の出入り口の門といい、此処の看板といい、里の其処此処で見掛ける、
何だかよく分からないが、インパクトだけは激しい看板の数々を見るに、
まるで外国人の間違った日本文化の知識を元に作られた「ニンジャ映画」の舞台セットをみているような気分になる。
余談だが、「人生色々」と云う、何を主張したいのかいまいち分からない看板を掲げた建物を見掛けて、
一体何の建物なのかとやや呆れた眼で見上げていると、其の窓から何故かカカシが手を振っているのを見てドン引…驚いた事もあった。
後で聞けば、「上忍」と云うちょっとグレードの高い忍者達の詰所のような場所であるとのことだった。
ちょっとグレードの高い人達の集う場所だなんて、一体どんな変わり者の集団が収容されてるのかな、なんて、私は微塵も思っていない。
…まぁ人生色々あるんだろうと適当に納得する事でそれ以上は深く考えない事にした。
疑問を持った方が負けである。
話が随分と脱線したが、まぁ要するにだ、甘味処にて何度か会う内に「みたらしさん」と友達になった訳だ。
彼女は私の働いている食堂へ時々来る事もあって、私の顔を覚えてくれていたらしく、(さすが忍者だ、とゲンマの顔が思い出された。)
偶然にも同じ長椅子に隣り合う機会があって、成り行きで世間話をするうちに親しくなった。
彼女は最強の甘党だった。
それはまぁ皿に盛られた団子の数を見れば明らかだが、更に彼女は、団子とおしるこを一緒に食するのが好きだとのたまった。
忍者なんて仕事をする人はやっぱり変わった人が多いのだなと生返事を返す私をよそに、彼女は其の時は満足げにお茶を飲んでいた。
今日はおしるこじゃなくてよかったと心底思った。
そしてもう一つ驚いたのは、彼女の名前である。
私はずっと初対面の印象から彼女の事をこっそり「みたらしさん」と云うあだ名で呼んでいたのだが、
まさか本人に対してあだ名で呼び掛ける訳にもいかないので、彼女に名前を尋ねたのだが、其の名を耳にして唖然とした。
彼女は其の名を、みたらしアンコ様と仰った。
此の里に来てから最も驚いた出来事ベスト3には入る驚愕の事実だった。
(ほんとにそんなお名前だったよすげーな此の世界の命名センス…!当たっちゃって逆にきまずいよ!)
内心のものすごい動揺と驚愕を必死でひた隠しながら、すてきなおなまえですね、と私は視線をうろうろさせながら呟いた。
もうどうにでもして。
スルースキルだけでなく、投げ遣りになることも得意になった私であった。
不必要な進化ばかりをとげる自分が切ない。
「ちょっと!もっと飲みなさいよ!あたしの酒が飲めないとは云わせないわよ!」
耳元で突然叫ばれて、現実逃避から意識を取り戻した私が反射的に身を引くと、
徳利を片手に持ったアンコが、私が引いた分だけぐっとこちらに身を乗り出して来る。
そう、友達になれたのは嬉しいのだが、此の酒癖の悪さは如何ともし難い。
正直に云おう、私は例によって、若干引いていた。
「飲んでます、がんがん飲んでます、だからもう私の事は気にしないで下さい。」
視線を逸らしながら無理のある嘘を吐きつつ、尚もずるずると畳の上を後ずさり、少し引き攣り気味の愛想笑いをすると、
彼女は手にした徳利の中身を、御猪口ではなくあろうことかコップにざばっと注いで私に押し付けた。
元の場所に戻って行くアンコを見ながら、何てひとだ、と私は無理矢理持たされたコップを胸の前で両手に握り締めながら愕然としていた。
「忍者こわい…」
ぼそりと呟くと、斜め向かいに座っていたライドウが微妙に気の毒そうな顔をした。(だが助けてはくれないようである。)
此の時私は、いつかハヤテにクナイを突き付けられた時よりも忍者を恐いと思った、と云っても過言ではないような気がした。
ちなみに向かいに座っているハヤテは苦笑いをしていたが、咳き込むだけで彼もまた何も云わない。
ちくしょう、皆薄情である。
何故私がこんなカオスな空間で戦々恐々としているのかと云えば、元々はアンコに飲みに行かないかと誘われたからだ。
私はあまりアルコールは得意ではないが、それでもいいならと其の誘いに乗ったところ、
其れを聞きつけた紅が自分も混ぜてくれと言い出し、其れをきっかけにいつのまにかゲンマとライドウ、
ハヤテ、エビス、アスマにカカシと云う妙な大所帯へと発展してしまったのであった。どんなメンバーだそれ。
ちなみに、エビスはまだ来ていない。彼は仕事が済んでから後で合流すると聞いている。
しかし其の誘いを了承した時点では、私はそんなメンバーで酒なんか飲んだら、どんな恐ろしいことになるか分かっていなかった。
そして当日、こうして居酒屋の座敷を陣取った末に、御覧の有様である。
彼らは忍者と云う職業柄、アルコールに対してはある程度免疫を付けているらしいので、全員確実に私よりも強い。
そして酒が好きな人間と云うのは、大抵の場合、酔う迄飲む。
そして彼らが酔うには時間と量が掛かるので、必然的に想像を絶する酒の大量消費を目の当たりにする事になるのであった。
まだ店に入って一時間経ったか経たないかという程度なのに、此の惨状。店の人に心底申し訳ない気持ちになった。
一体お開きになるのは何時になることだろうと遠い眼をしながら、私はちょっと誘いに乗るのを早まったような気がしていた。
私はストレートの日本酒ががっつり注ぎ込まれたコップをそっと机に戻し、
アンコから距離を取るべくのろのろと畳の上を這って移動する。
此処は最大十人収容できる程度の畳敷きの座敷で、私は一番下座にあたる入り口の障子の前に座っていた。
そして其の隣は奥に向かってアンコ、アスマ、紅と云う順に席についており、
また、私の向かいはハヤテがいて、更に其の隣りにライドウ、ゲンマ、カカシが座している。
私の向かい二人は、それはまぁ静かなものだ。
そんな訳で、私は絡まれないうちにアンコの後ろを通り抜け、一番奥に座っていた紅の隣にそっと御邪魔した。
「すみません、御邪魔します…。」
ぼそりと呟いて隣りにぺたりと座り込むと、紅や彼女の向かいに座るカカシがくつくつと笑っていた。
アスマは私の変わりにアンコに絡まれているようだ。彼は呆れながらも慣れた様子で面倒くさそうに彼女を宥めている。
そして其れをまた全員が黙殺しているあたり、私も含めて気持ちは皆同じだったようだ。
こうなると分かっていながら平然と此の席に出てくる辺り、随分と皆がそれぞれの扱いに慣れているようだった。
いいんだかそうでないんだか。
「さんはアンコと飲むのは初めてなの?」
のんびりとビールを飲みながらカカシが尋ねるので、肯定を返す。
「そうですねぇ、と云うか、此処に来てから、お酒を飲む事自体初めてかもしれませんねぇ。」
私は飲むという程飲んではいなかったが、それでも確実にアルコールは回って来ている自分に気付いた。
何となく語調が緩くなってるような気がする。
「あら、そうなの?ならもっと早くに誘えば良かったわ。」
少し頬に赤みが差してはいるが、それでもかなりの量を飲んでいるにしてはしっかりしている紅が云う。
彼女の手元には焼酎のロック。実に男らしい飲みっぷりである。…と、思った事は秘密だが。
「ま、さんも仕事で来てたからな。しょーがないでしょ。」
「『来てた』って…いやいや、あの、カカシさん、わたし今も現在進行形で仕事の為に此処に居るんですけど…。」
「そういや、黄金の太刀だっけ、まだ見つかんないんだってな。」
カカシに思わず突っ込みを入れていると、先程迄ライドウと話し込んでいたゲンマがひょいと口を挟んで来る。
そうなんですよね、と困ったように笑いながら、まだもう少し見つからなくてもいいや、と考えた自分を誤魔化した。
酒はそんなに得意じゃない。そうおしゃべりでもない。賑やかすぎるのも苦手だ。
けれど、こういうふうに皆と杯を交わすのも、全く悪く無い。
「主様とも全然連絡を取ってないので、最近ちょっと私のこと忘れられてるんじゃないかと思ったり…。」
「さすがにそれは無いでしょう。考えすぎよ、。」
「…いや、それはどうでしょう…。」
「…いや、それはどうかなぁ…。」
紅は少し肩を落とした私を優しく励ましてくれたが、私と、主様と面識のあるカカシは、同時にそう呟いて紅から視線を逸らした。
あんた自分の主じゃないのかよ、とゲンマが噴き出しながら指摘するので、自分の主だからこそですよ!と苦笑いで反論する。
「んー、でももしかしたらそろそろ行方が掴めるかも、なんて話も聞いたわよ?」
先程迄アスマに徳利を突き付けていたアンコが、出汁巻卵を箸で持ち上げながら唐突に云う。
それは初耳です、とアンコに詳しい話を求めたが、彼女も詳細は知らないようだった。
ぬか喜びさせんのもアレだから、話半分で聞き流しといてよね、と云い、彼女は卵をぱくりと上機嫌に頬張った。
「でもさ、太刀が戻って来たらさんも帰っちゃう訳じゃない?
其れはちょっと寂しくなるなぁ。折角仲良しになれたのにネー?」
「何云ってんだ、だからって取り返せなかったら里の面目が立たねぇだろうが。」
にこにこと胡散臭い笑顔を振りまき、カカシが私の頭を子供をあやすように撫でながら云うと、
アスマが呆れたように火を点けたばかりの煙草の煙を吐き出した。
私はカカシの言葉に一瞬ハッとして、少し眼を見開いて動きを止めた。
すぐに気を取り直してそうですねぇとゆるく笑ったが、内心動揺していたのに気付かれたかもしれないと考える。
冗談にしろ何にしろ、寂しくなると云ってくれた事が、申し訳ないながらも少し嬉しかった。
そうして微笑みながら、いつまでもわしわしと私の頭をしつこく撫でていたカカシの手を無言で叩き落とした。
え、ひどい、とカカシが叩かれた自分の手をわざとらしく押さえると、厭がられてやんの、とゲンマが噴き出した。
セクハラよ、と紅にも手厳しいお言葉を掛けられ、そこまでいう?とカカシが恨めしそうな顔をした。
「遅くなりました。……いつもの事ながら、これはまたひどいですな…。」
突然、座敷の障子が開いたので皆がそちらを見遣れば、ようやく仕事が終わったらしいエビスが入って来た。
そうして声を掛けながら入った途端、机いっぱいの徳利やらビール瓶やら一升瓶やらを見渡し、頬を引き攣らせながら呟いた。
「あはは…お疲れ様です、エビスさん。」
至極真っ当な感想をどうもありがとうございます、と心の中でおざなりに拍手しながら彼を軽く労った。
私に苦笑して返事を返しながら、エビスは空いていたアンコの隣、先程迄私が座っていた席に腰を下ろした。
あーあ…、と思いながらも黙って様子を窺っていると、早速アンコがエビスの前に一升瓶をどんと突き出していた。然もあらん。
そして誰も彼に味方してくれる者はいない。私も含めて。
良いスケープゴートがやってきたとばかりに、アスマがにやりと笑って煙草をふかしていた。
本当にぐだぐだなメンバーである。
「アンコさんは本当に、いろんな意味ですごいですねぇ…。
初めてお会いした時もあの夥しい団子には、そりゃあもう心底驚いたものですが。」
なかなか減らない梅酒の水割りを少しずつ口にしながら、アンコを眺めてしみじみと呟けば、紅とゲンマが笑う。
あれは見てるだけで気持ち悪くなる、とカカシは少し厭そうな顔をしていた。まぁ最もだ。
カカシが溜め息を吐いた瞬間、テーブルに寄りかかって頬杖を付いていたカカシの肘のすぐ傍に、とすっ、と突然串が刺さった。
私は思わず背後の壁に縋り付いてしまったが、まるでクナイのように綺麗にテーブルに刺さった串と、
其れが飛んで来た方向を恐る恐る見れば、もごもごと焼き鳥を咀嚼しながらアンコがカカシをガン見していた。
…どうやら団子の串ではなく、焼き鳥の串だったようだ、とどうでもいい事を確認した。
アルコールのせいだけではない動悸を感じて思わず心臓を押さえた私だった。
「ちょっとカカシ、何か文句でもあるわけ?」
ごくり、と口の中ものを嚥下したアンコがやや凶悪な笑みでカカシに突っかかる。
カカシは笑って誤魔化しながらアンコを宥める。そして紅もまたアンコを窘める、かと思いきや。
「アンコってば、テーブルを傷つけちゃだめじゃない。」
え、そっち?
カカシの事は別にどうでもいいようである。私はそんなカカシには取り敢えず、生暖かい笑顔を向けておいた。
アンコが立ち上がりながら、そうねっ、カカシに直接刺しとけば良かったわ!と高らかに云い放ち、
彼女は突然私と紅の間に無理矢理座り込み、こんな奴は放っておいて飲み比べをしようとのたまった。
冗談ではない。
眼に見えて顔色を変える私に苦笑し、紅がアンコのコップに焼酎を注ぎながら、私に再度別の席に避難するよう促す。
二人ともごめんと心の中で手を合わせながら、私はまたそろそろとカカシの後ろを身を屈めながら通り、席を離れた。
私は一体何度席替えすれば落ち着けるのだろうと考えて、しかしすぐに根本的な間違いに気付く。
此の場にいる限り、それは土台無理な話である。
そうして今度は、ハヤテとエビスの間、ちょうど紅やアンコが現在進行形で酒を飲み干しているのと反対の場所に座した。
エビスもそうそう騒ぐ質ではないし、ハヤテもライドウも(比較的)温厚で常識的な人間だ。(多分)
最初からこのくらいのポジションを取っておけば良かったんじゃなかろうかと考えつつがくりと項垂れた。
「大丈夫ですか…?」
顔を上げると、少し気遣うような眼をしたハヤテがそう聞いてくるので、私は苦笑いで肯定の意を示した。
心配してくれるのは有り難いが、助けて欲しかった時にきっぱり見捨ててくれたことを思うと、どうも素直に喜べない私だった。
「皆さん、いつもこんな感じなんですか?」
「えぇ、まぁ…大体こんな感じですよ。」
「どうりで…。」
其の後の言葉は続けるのに躊躇われて、賢明にも私は曖昧に笑うだけに留めて口を噤んだ。
が、まぁ、云わんでも想像はつくものなので、ライドウやハヤテ、
エビス、アスマという此の一帯に座る全員が生温く笑っていたのは云う迄もない。
ああ、今日は長い夜になりそうだと思いながら、私は水の入ったコップに手を伸ばした。
(10.4.1)
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