黄昏の檻 13

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テーブルを拭きながら八割方埋まった席を見渡して、随分と知っている人間との遭遇率が高いものだ、と何とも不思議な気持ちになる。

知っていると云っても、私が一方的に見掛けて勝手にあだ名を付けて勝手に呼んでいるだけの人間も多いのだが、

それにしたって宣言通り翌日にやって来たカカシや紅、アスマを始め、数日前にはイルカも一度見掛けたし、

いつぞやの黒いサングラスの「教授さん」や「みたらしさん」、昨日なんて、まさかの火影にまで遭遇してしまった。

 

 

 

あれには驚いたなぁ、と溜め息をつきながら昨日の出来事を思い出す。

店の扉が開く音がしたので、いつものように笑顔でいらっしゃいませ、と振り向きながら云い掛けたと云うのに、

その入って来た人物の顔をみて思わずうわぁ、と叫びそうになったのを必死で飲み込んだ。

意外とフットワークの軽い里長にぎょっとして固まる私を見て、火影は笑いながら何食わぬ顔をして席に着く。

 

ちゃん、とサトさんに声を掛けられてようやく我に返り、恐る恐る火影に近付くと、

彼はその深く皺を刻んだ顔に、まるで悪戯に成功した子供のような笑みを浮かべた。

其れを見て内心、ああ、確信犯か、と一気に疲れたような気分になりつつ苦笑した。

 

「なかなか頑張っておるようじゃな。」

 

「……まさか火影殿がいらっしゃるとは思っておりませんでした。

 私がこちらでお世話になっている事、ご存知でいらっしゃったのですか。」

 

「はっはっ、この里のことなれば、儂の知らぬ事はないぞ。」

 

「そのようで御座いますね。

 …この度は、わたくしの私的な申し出に対する寛大なる御計らい、心より感謝致します。」

 

そう云えば火影本人への礼が未だだった事に気付き、こんな所でなんだが、と思いつつも深く頭を下げた。

気にするなというようにおおらかに笑う火影に、その懐の深さを実感していた。

 

 

そうして火影は至って普通に食事して、至って普通に帰っていった。

孫がどうにも悪戯を仕掛けて来て困る、と呆れながらも嬉しそうにぼやく姿は、至って普通に孫を可愛がる老人の姿だった。

其の後ろ姿を見送っていると、此処が、忍の隠れ里と云う言葉から連想されるよりも、

ずっと大らかな雰囲気を持っている其の理由が、何だか少しだけ分かったような気がした。

 

 

 

 

そんな事を考えながらも手はしっかりと仕事を勝手にこなして行く。

テーブルと椅子を整え、食事の済んだ客の勘定を済ませ、ありがとうございました、と頭を下げる。

徐々に慣れて行けば良い、と云われた言葉通り、少しずつではあるがマシな仕事が出来るようには成って来た。

 

午後二時を過ぎれば必然的に客は一気に引いて来る。

今日もようやっと一番忙しい時間を、此れと云って大きなミスも無く無事に乗り越えた、と安堵の息をついたとき、数人の客が入って来る。

時折こうして時間をずらしてのんびりと食事をしに来るものも特別珍しくは無い。

確かにあんまり混み合っていると落ち着かないものだと勝手に同意をしつつ店内へと視線をやれば、またしても見知った顔が其処にあった。

 

「いらっしゃいませ。」

 

「お?あー、確かさんだったな。なんでまたこんなとこで働いてるんだ?」

 

「まぁ、いろいろありまして。

 …私のこと、覚えていらっしゃいましたか。」

 

まったく忘れられているとはさすがに思わなかったが、

こうもすぐに顔を見ただけで私を私だと認識したゲンマに少し驚いて云うと、彼はにっと不敵に笑ってみせた。

 

「忍を舐めてもらっちゃ困るな、 さんよ。俺は一度見た顔は忘れねぇよ。」

 

「其れは失礼致しました。」

 

小さく笑いながら戯けて返してみせると、変わったノリの人だと思いつつも、彼を始めとする三人を席へ案内する。

ゲンマと「眼鏡さん」と「教授さん」と云う、何だか見た感じ不思議な組み合わせのメンバーを前に、

若干笑いを堪えつつも表面上は素知らぬ顔をしておく。

そして、あぁいつもゲンマと二人でワンセットなのだと勝手に思い込んでいたライドウが今日はいないのか、とぼんやり思った。

 

ちなみに「眼鏡さん」もどうやら一応は私の事を覚えていたらしく、小さく会釈を交わした。

神経質そうにサングラスをかちりと押し上げながら、「教授さん」が私を見ているのに気付き、彼にも同じようにすると、

貴方が火影様のおっしゃっていた方でしたか、と半ば独り言のように呟いた。

よく分からないが、向こうも一方的に私の事を知っているようである。

返事をするべきかどうか迷ったが、彼は逡巡する私を特に気にする様子も無かったので結局黙っている事にした。

 

「さっきも云ったが、さん何で此処で働いてるんだ?

 あんた確か岸辺様んとこの使用人なんじゃなかったか。」

 

椅子の背に腕を回して身体ごとこちらを向きつつ、ゲンマが不思議そうに云う。

此処の忍者は何故こうもフレンドリーというか、野次馬というか、人を構いたがる者が多いのだろうかと少し呆れて笑う。

フレンドリーな忍者って表現もどうよ、と心の中でセルフ突っ込みを入れてみる。

 

「念の為に云っておきますと、主様にも火影殿にも、確と許可は頂いておりますよ。

 …流石に一月以上何もしないと身体が鈍ってしまいますから。」

 

「おーおー、働きもんだねぇ。」

 

うわぁ、とでも云うような厭そうな顔をするゲンマに苦笑する。

別に私だって働くのが好きと云う訳でも無いのだが。要するに暇は人を殺すと云うだけの話だ。

 

そうして注文を取ろうと思ったのだが、「眼鏡さん」がもう一人来るから少し待ってくれ、と云う。

そう云う事ならとその場を離れようとしたのだが、丁度其の時またゲンマに話し掛けられてタイミングを逃してしまう。

まぁ他に客いないからいいけど、と考えながらちらと厨房の方を窺うと、サトさんはにっと笑って頷いた。

…。

いや、呼び戻してくれても全然よかったのだが、との意を込めて苦笑いを返したが、私のその思いは彼女には全く届かずスルーされた。

ちょっとしょっぱい気持ちになった事を付け加えておく。

 

「しかしあいつ遅いな、何やってんだ。」

 

「…はぁ。あのな、ゲンマが昨日渡した資料の不備を直してくれてるんだよ。」

 

暫し待ったがなかなか来ない残る一人を待ちかねてゲンマが呟くと、

隣りに座る「眼鏡さん」が呆れた、と云う表情を全面に押し出してゲンマを遠回しに批難する。

 

「それはゲンマくんが悪いですな。」

 

「えっ、マジかよ、俺のせい?

 不備って何処よ。俺一応確認はしたんだけど?

 つかアオバ、知ってたんなら早く云えよな!」

 

「無茶云わんで下さいよ。」

 

「教授さん」が溜め息を吐き、ゲンマが若干狼狽えて「眼鏡さん」改め、アオバに無茶振りをする。

そんな彼らの遣り取りに置いてけぼりになってしまったのだが、何となくこの場を立ち去るタイミングも掴めぬまま、

居心地の悪さを感じつつもその場に突っ立っている事しか出来なかった。

何で中途半端に引き止めたのかと喉の奥でゲンマにじっとり八つ当たりをしていると、

ふと三人がこちらを見上げたのに気付いて、どうしたんですか、と口を開き掛けた瞬間。

 

 

「遅くなってすみません…。」

 

「っ!!!」

 

唐突にすぐ後ろでこほこほと云う咳と共に、落ち着いた低い声が耳に飛び込んで来て、

驚いたあまり思わず耳を押さえてその場にしゃがみ込んだ。

 

油断してた。油断してた。マジで心臓止まるかと思った。

ばくばくと脈打つ左胸を押さえながら振り向くと云う行為に、全然気のせいじゃないデジャヴュを感じる。

しゃがみ込んだまま後ろを振り返ると、カカシ程ではないにしろ、結構近い所に立っていたその人をそろりと仰ぎ見る。

 

「…ハヤテ、さん…。あ、の、…どうも…お久し振りです…。」

 

「…あぁ、いえ、こちらこそ。その、すみません。

 …まさか其処迄驚かれるとは、思わなかったものですから。」

 

少々目を見開き、彼にしては珍しい程に分かりやすく表情を変えて驚いている、月光ハヤテが其処にいた。

残る一人が、まさかハヤテだったとは。

まったくもって妙に知り合いとの遭遇率の高い店である。

それはこの店がアカデミーや受付処等、忍関連の施設が集まった区域に程近いせいでもあるのだろうが。

 

「普通、突然、後ろに人が立っていたら、大抵の場合は驚くものかと。」

 

苦笑いしながら竦めていた肩の力を抜くと、ハヤテもまた苦笑してもう一度すみません、と云う。

この人の「すみません」を聞くのは此れで何回目だろうか。

 

「ハヤテくんは彼女と知り合いなのですかな?」

 

少し不思議そうな「教授さん」が云うと、ハヤテがえぇ、まぁ、と曖昧な返事を返し、すっと私の目の前に手を差し伸べた。

一瞬その手の意味を計りかねたが、其のすぐ後に意味を理解して、かなり狼狽する。

 

つ、捕まれってか…!

あなた何処の紳士ですか。

 

恥じ入りたいのか笑いたいのか感動したいのか、もう原型をとどめていないくらい混じりゆく複雑な気持ちを抱えつつ、

無視するのも失礼かと思って、躊躇しながらも恐る恐る差し伸べられた手を取る。

私は其の動作に必死だったので、其の時ハヤテが小さく笑っていたことには気付かなかった。

そうして触れたハヤテの手は少し骨張っていて、細いけれど、私よりも大きく力強い手だった。

(彼のそれもまた、「忍者」の手だ。)

 

肌の色の白さから其の手は冷たそうに見えたのだが、存外あたたかいことに少し驚いた。

そういえば、あの時もこの手が触れた背と腕は、とても暖かく感じたことを思い出す。

むしろ少しぎこちなく震える私の手の方が、ずっと冷たくなっていた。

 

「す みません。ありがとうございます。」

 

ぐっと手をひっぱりあげるハヤテにつられて立ち上がったはいいが、正直な所、内心はかなり焦っていた。

戸惑いや動揺をそう露骨に表情には出さなかったものの、少し顔が強張るくらいはしていたかもしれない。

しかも此れを素でやったらしいハヤテの、平生と変わらぬ至って普通の表情を見てちょっと尊敬の念すら覚えそうだった。

 

(なんて人だ、月光ハヤテ。…逃げ出してしまいたい。)

 

正直過ぎる思考に鞭打って自分を落ち着ける。ハヤテが静かに「教授さん」の隣の空いていた椅子に座った。

はぁ、と小さく溜め息を吐けば、ゲンマ達が皆それぞれの表情で笑っていた。冗談じゃない、私は見せ物ではないんだ。

 

「そんなに驚く事ねーだろ。むしろこっちが驚いたぞ。」

 

「…普通の反応だと思いますよ。

 こないだも別の方にまったく同じような事で驚かされたものです。

 忍者さんは皆足音を立てないものなのでしょうか…。」

 

「職業病というやつでしょうね。」

 

私が少し苦い表情をしつつ、せめていきなり背後に立つのだけは止めて欲しいものだがと呟くと、

ハヤテがふっと笑ってあっさりとそんな事を云う。

 

彼の全く悪びれない楽しそうにすら見えるその様子に気付き、何だかもう腹を立てるのも馬鹿らしくなってくる。

営業スマイルが苦笑いになっているのを自覚しつつも、私は何事も無かったかのように、

ご注文はお決まりでしょうか、と決まり文句を口にした。

 

 

 

 

ようやっと仕事に戻った私は彼らの注文を厨房の店長に伝え、そうして出来上がった料理を二回に分けて席へと運ぶ。

そしてようやく全て彼らの席まで運んだかと思うと、私がそそくさとレジに戻ろうとするのを妨害するかのごとく、

サトさんが奥から大声で、もうお昼の休憩に入っていいわよ、と私に云った。

 

何だか陰謀めいた物を感じるのは私だけなのだろうかと困惑しつつ、それでもとりあえず一度戻ろうと踵を返しかけた時に、

此れもまた素晴らしいタイミングでゲンマが私に声を掛けた。

何なんだ、二人して確信犯なんじゃないの!と思ったのは云う迄もなかった。

 

「ちょうどいいじゃねぇか、ならこっち座れよ。」

 

にっと笑って彼らの隣のテーブルを示すので、断る理由が思い付かずに、はぁ、と気の抜けた返事を返した。

別に誘ってくれるのはそれなりに有り難いとは思うのだが、さっきの動揺がまだ少し尾を引いている。

この四人と相対するに少し気が引けてしまうのも無理も無いと思うのだ。

そして少しハヤテに対する気まずさのようなものを感じていたが、其れが何に対する気まずさなのか、自分でもよく分からないでいた。

 

「…えぇと、」

 

そしてゲンマが座れとそう云うが、他の三人はどうだろうと思って視線をさまよわせた時、何故かハヤテと眼が合った。

私が相当困ったような表情をしていたらしく、さんが迷惑でなければどうぞ、と云って彼はささやかに笑った。

…そう云われると尚更断れないのだがと思いながら、私は諦めて勧められるままに、一番近い、ハヤテの隣の椅子に座った。

 

 

 

 

そう賑やかなメンバーでもないのだが、ぽんぽんと軽やかに会話はほとんど途切れる事無く続いて行く。

隣に座るハヤテは相変わらず穏やかな空気を纏っていたので、其れに少し安堵して身構えていた気持ちが収まっていく。

何とも不思議な人だ。

 

「そう云えば、さんはどうしてこちらで…?」

 

食事を終えて、お茶を飲んでいたハヤテが思い出したように静かにそう云うので、え、今更それ聞くの?と思う。

私が此処で働いている事に関して、ハヤテからは特に何のリアクションもなかったので、

寂しさ、ではないが、少し肩透かし、というか、何と云うか…。

言葉で表現するのは難しいが、何故かそんな感覚を覚えつつも、それはそれでまぁいいかとそのまま流していたのだが。

 

「あーそれもう先に俺達が聞いたよ。要するにだ、この子は働き者なんだよ。なぁ?」

 

「ていうか、ハヤテ、遅いよ。ものすごい今更だよ。」

 

私が口を開く前にゲンマがものすごく要約して云いながら私に同意を求め、アオバが少し笑ってハヤテに突っ込みを入れる。

そして私も口を開いて経緯を伝えるとなるほどと頷くハヤテを窺いながら、本当にこの里の忍者さんは仲良しだなぁと思った。

 

「まぁ、働くのは悪いことではありませんからな。」

 

「そうですね…確かに、以前お会いしたときより、生き生きとした眼をしていらっしゃいますね。」

 

「そ、そうでしょうか…自分ではあまり分かりませんが…。」

 

エビスが頷き、(此処迄来てようやっと彼の本名が判明した)そしてハヤテが私の顔を見ながら、なるほどとばかりにそんな事を云う。

あまりに穏やかで真直ぐな視線に、居心地の悪さよりも気恥ずかしさを感じて少し視線が泳いでしまう。

生き生きした眼、と彼は云ったが、そりゃあそうだろう。

初対面時など眼も当てられない有り様だった事を思えば、そりゃ今の方が断然元気だろうよ。

思い出してなおさら微妙な気分になる。

 

そして、私とハヤテに面識があったことを問われて、ハヤテは道案内をしただけだと端的に事実のみを口にした。

どう答えていいか分からなかった私は其れに少しほっとして、三人が別の話題で話し込んでいる時に、

隣りに居るハヤテにだけ聞こえるくらいの小さな声で、ありがとうございます、と呟いた。

其れに対して、ハヤテはちらと私に一度視線を向けたが、何も無かったように前を向いて眼を伏せ、ただかすかに微笑んでいた。

 

ああ、この人のよくする、あの表情だ。

それは本当に、ささやかな、ささやかな微笑。

私は何だか少しだけ泣きたくなるような、眼の奥の柔らかい痛みを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

next.

 

(10.4.1)

 

 

 

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