黄昏の檻 11

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある朝、何気なく郵便受けを覗いて私は思わず、あ、と声を上げた。

 

「お、おお、こ、この色は…!!」

 

郵便受けからひらりと飛び出した一通の手紙。差出人の名などわざわざ確かめる必要すら無い、その薔薇色の封筒。

ぎゃあ、と叫び声を上げ掛けて、寸での所で慌てて飲み込んだ。

何を隠そう、(ていうか何も隠れていないが、むしろ剥き出しだが、)

この薔薇色の封筒は紛れも無く、主様から、もしくは岸辺家名義で書かれた手紙にのみ用いられるものであった。

 

まじで返事来たよ!といい加減な事を云いつつもリビングに戻り、椅子の上に正座して丁重に封を切る。

別に主様が封筒から飛び出してくる訳でも無いのでそう身構える必要も無いのだが、(そんなの卒倒しちゃう)

主様関連のことに対しては、このくらい大袈裟にやってみせるのが私的にある種の礼儀みたいなものになっている。

意図する所は悪ふざけなので、もちろん本人の居ない所での話。

 

そっと薔薇色の便箋を取り出せば、主様の愛用している香水の香りがする。

直筆の流麗な文字を眼で辿り読み上げて、私はほっと息を吐いた。

重畳だ。

 

其れは、私が先週に主様へ宛てて出した手紙に対する返事であった。

私の出した手紙の内容は、此の里に於ける労働行為の許可を求めるもの。

要は「此処でアルバイトしていい?」って話である。

 

 

 

此の里に滞在して、早いものでとっくに一月を越えているが、待てど暮らせど屋敷への帰還の目処は立ちそうに無い。

旅費はまだ余裕もあるし、足りなくなれば主様に申し出れば用意してくれるとは云われているが、

いい加減私も此の、一応仕事をしている筈なのに何故かどうして無職な状況がどうにもいたたまれない。

 

自分の立場を考えて我慢していたのだが、段々我慢している意味が分からなくなったので直接主様に許可を求めるという暴挙に出てみた。

そんな私の勝負の結果、何とも主様らしい内容で書かれた手紙は、私にあっさりと軍配を上げた。

『道踏み外す事なかれ 然らば好きにせよ』

要するに「よっぽどマズいことしなきゃあんたの好きにしていいわよ。」である。

 

ちなみに其の後に続いた一文に、私はものすごい苦笑いを要求された。

わかってると思うけど太刀を取り返す迄は帰って来るなよ、と云うその駄目押しに。

 

「云われんでも解ってますよぉ…。」

 

此の部屋に滞在してから増えてきた独り言が思わず零れた。

そうだもちろん解っているとも、解っているからこそ、無理を承知で申し出たお願い事だ。

 

ふと数日前の夜に再会した、ハヤテの言葉が頭を過った。

弁えているつもりと云いつつもやっぱり立場を弁えていない私の浅はかな振る舞いを、彼ならどう思うだろうと考え、自嘲する。

もちろんハヤテがどう思おうが、私は私の意志を曲げるつもりはないけれど、彼に軽蔑されるのは何故かとても辛いことのように思われた。

けれど、無反応であってもそれはそれで寂しい気がする。

…なんて、私はたかが二回遭遇しただけのハヤテに一体何を求めているのだろうか。

 

とにかく、私の雇い主である主様からの許可をもぎ取る事には成功したので、後は此の里の長の許可を頂戴して、仕事を探すまで。

気合いを入れて臨もうと思い掛けた所で、あれ、火影ってどうしたら謁見できるのかしらと早速躓いた。

 

一度だけ会ったあの時は本人からのお呼び出しにのこのこ訪問しただけだ。

こちらから会うことは出来るのだろうか。そしてアポイントメントが必要だと云うのなら誰に申し出れば良いのか。

依頼受付処へはさすがにもう行くつもりは無い。(此れ以上依頼と関係ないことで煩わせるのもどうだろうと思うし。)

もう一度火影がいる建物へ直接窺って謁見を申し出るのが手っ取り早いのだろうが、取り次いでもらえるのかはわからない。

 

そこでふと一つの案が過ったけれど、あー、いや、でも、ものすごく気が進まない。

出来れば関わりたく無いというか、あまり会うに気が進まないと云うか、借りを作るのが怖いというか。

あの人に仲介を頼むくらいなら、まだ直接火影の元に乗り込む方がマシかも。いや、でも。

 

考えあぐねて頭を抱えたところで、ふっと悟ったように一つ微笑むと、うん、散歩しよう、と云う結論を出した。

逃避と云うなかれ。これはただの…ほ、保留、である。

 

 

 

 

 

そんな訳で、普段は夕刻に散歩する事が多い私が、珍しく昼前の長閑な里中を歩いていた。

何度か利用した事がある食堂の前を通れば、早めの昼食を摂る者達によって、少しずつ席が埋まり始めていた。

そして入り口の引き戸の、今迄まったく気にも留めていなかったぼろぼろの貼り紙に気付いて、思わずピタリと立ち止まる。

風雨に晒されて色褪せてはいるが、其処には「手伝い募集中」とあり、「詳しくは店主迄」と締め括られている。

 

なるほど、許可が取れたら一度詳しい話を聞いてみようかなと気の早い事を考えながらぼーっと貼り紙を見つめていると、

突然、何の前触れも無く背後から何者かに肩を叩かれて、ビクッと身体を震わせる。

肩に置かれた手を振り払うくらいの勢いでぱっと大袈裟に振り返れば、すぐ真後ろに手の主が立っていた。

いや、だからあんた近いんだよ!近過ぎるよ!と激しく突っ込みたい気持ちを跳ね上がる鼓動と共に押さえつけながら、

私は其の男から距離を取るように少しじりじりと後ずさった。

 

「いやー、そんなに驚かれるとは思わなくて。ごめんねぇ。」

 

悪かったとは欠片も思っていないようないい加減な笑みを片目だけに浮かべながら、手の主、はたけカカシは私にひらひらと手を振った。

心臓に悪い、と、まだどくどくと弾む左胸を押さえながら若干不機嫌な顔を隠さずに彼を見上げる。

 

「やだなぁ、そんな警戒しなくてもいいじゃないの、さん。」

 

不法侵入者とはもう呼ばないにしても、見た目が不審すぎるのは事実ではないのか、と心の中で悪態をつきつつ、

十分に距離を取ってから、何事も無かったかのように改めて挨拶をしてみた。

 

「おはよう御座います、カカシさん。」

 

小さく頭を下げながらも、まだ会うのは二度目だというのに此の男の妙なフレンドリーさは何なんだろうか。

不可解さを腹の中に隠して彼を見上げ、其の後ろに彼の連れらしき二人の忍者を見つけてとりあえず彼らにも会釈した。

一人は波打つ豊かな黒髪の美人なくのいちさんで、もう一人は以前ちらと見掛けた「クマさん」だった。

 

「その子、カカシの知り合いなの?」

 

くのいちのお姉さんが私に少し微笑んで会釈を返しながらカカシに尋ねると、カカシはまーねとだけ云う。

一応自己紹介くらいはした方が良いのだろうかと思い、名前を告げると、彼女はああ、と心得たように頷いた。

 

「私は夕日紅で、こちらは猿飛アスマ。私達はカカシの同僚よ。」

 

私の好きな黄昏時の名を持つ彼女は、落ち着いた深く綺麗な声をしていた。不思議にもすとんと胸に安堵の落ちる声色だと思った。

…カカシに驚かされたばかりなので余計に癒されたのは云う迄もない。

はっきりとした理由はよくわからないが、自分はどうもはたけカカシと云う男が苦手なようだ。

嫌いな訳ではないのだが…どうにも。まぁ単なる相性の問題かと余り気にしない事にする。

 

「ところでさん、此処で働くの?」

 

「…は?」

 

突然カカシがそんな質問を振ってくるので、思わず素で返した私に、いや、だってこれ、と云って件の貼り紙を指差す。

どうしてこうもカカシは言動が何かにつけいつも唐突なのだろうと溜め息を押し殺した。

しかも、此の展開はいただけないなーと諦観混じりに思う。

よりによって、結論を保留した原因、問題の人物そのものが目の前で当の話題を振って来るのだから。

考えようによっては渡りに船とも云えるだろう、誤魔化した所で意味もないので、私は(諦めて)素直に事情を話すことにした。

 

 

 

 

 

 

彼らは私が貼り紙を見ていた食堂に昼食をとりにきたところだったようで、どうせなら私も一緒にどうかと云う紅の誘いに乗ることにした。

四人掛けのテーブルには、私の隣にカカシ、私の向かいには紅、其の隣にはアスマが掛けている。

何だか私にとっては妙に威圧感を感じる三人に囲まれて、少々居心地が悪い。

せめて緩衝剤としてナルトが居ればいいのに、と子供に助けを求める私の情けなさは今更である。

 

「正直申しまして、暇なのです。」

 

やや開き直って自棄気味に云えば、カカシがそりゃほんとに正直だわ、と笑う。

暇なのはなかなか依頼が達成されないせいですけどね、と八つ当たりじみた事を思うが、責める気は毛頭無い。

手がかりを探そうと頑張って動いてくれているのは解っている。

 

「しかしながら、まだ此処で働くと決めた訳ではありませんよ。

 主様に許可は頂きましたが、まだ里長である火影殿の許可を頂いておりませんので。」

 

「その許可とやらを貰いにいかねぇのか?」

 

紫煙を吐き出したアスマがあっさりと痛い所を突っ込んでくるので、其れに小さく苦笑を返す。

まぁ火影様ならすぐ許可してくれるような気がするがな、とアスマが続ける。

 

「…そうしたいのはやまやまなのですが、何分、私はこちらの里の事には不慣れでして。

 火影殿にお会いするには、どちらに窺えば良いのかと。

 直接出向いて、会って頂けるものなのですか?」

 

お忙しいのでは、と懸念を口にすれば、そう構える事は無いとアスマが笑った。

火影の居る建物を訪ねれば、よほどの事でもない限りきちんと対応してくれるだろうと云う紅の言葉に、少し肩の力が抜けた。

其処へ、テーブルに肘を付きながらカカシがこちらにむかってにっこりと笑って云う。

 

「なんなら、俺が取り次いであげようか?」

 

私がそうしてもらおうかと家で考えていたのを知っているかのような、タイミングの良過ぎるカカシの言葉に一瞬言葉をなくす。

恐らく親切でそう申し出てくれているのだろうが、何故この人が云うと何か裏があるんじゃないかとこんなにも疑いたくなるのだろう。

 

「…それは、とても助かりますが。しかし、カカシさんに其処迄ご迷惑は掛けら」

 

「気にしなくて良いよー、どうせ俺も後で火影様に用事があるし、ネ。」

 

迷惑は掛けられないので、と云い掛けた私の言葉を遮るようにカカシはのんびりと云うと、

ちょうどいいタイミングで運ばれて来た料理に箸をつけ始めていた。

其処でふと、あれ、と思って首を傾げながら隣りに座るカカシの横顔をじっと見る。

 

顔。

ああ、顔か。

 

あっさりと口元を覆っていた布をずらし、至って普通に箸を口に運んでいる。

向かいに座る二人も至って普通に食事を始めていた。

それがあんまり普通の成り行きだったので、先日彼や三人の子供達と共に一楽に行った時の、面妖な出来事をすっかり忘れていた。

あれはなんだったんだ。

普通に曝け出されているその横顔はやけに整っており、美形だとかかっこいいとかそう云う事を思うより先に、何と云うか、こう。

 

(…何か逆にすごい腹立って来たんだけどどうなのこれ。)

 

よく考えれば、いや、よく考えなくとも、ひどい言い掛かりである。

しかしカカシには悪いが、其の顔、綺麗過ぎて腹が立つ。

そして、見つめる、と云うよりは、ほぼ凝視に近い私の無表情なガン見に耐えかねたのか、カカシは流石にきまずそうに云う。

 

「…あのー、さん、そんなに熱い眼で見つめられちゃうと、さすがにちょっと落ち着かないんだけども…。」

 

「此れは失敬。」

 

紅が苦笑し、アスマが肩を震わせながら我慢せず存分に笑っているのを横目に、

カカシににこりと一つ確信犯的に微笑んで、何事も無かったかのように私もいただきます、と手を合わせた。

その心の中で、此の顔、写真撮ったらいい値段で売れるだろうな、とこっそり考えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

next.

 

(10.4.1)

 

 

 

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