黄昏の檻 10

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、少し遅くなってしまった。

すっかり夜のにおいのする空気を肌で感じながら、普段よりも少し急ぎ、けれどそう速くも無い足取りで家路をゆく。

今日は里の外れに近い場所にある、古い書店を訪れていたのだが、いろいろあってついうっかり長居をしてしまった。

 

 

 

 

 

その書店は最近開拓したばかりのところで、元々本を読むのは好きな性分もあって、早速此の世界の書物を物色しに出掛けていたのだった。

ますます此の里に滞在している目的がわからなくなってきている事は、もはや見て見ぬ振りである。

というかそれは私のせいではない。頑張れ忍者さん。

 

店の外観は然程大きくは見えないのだが、足を踏み入れてみれば其処は意外と奥行きがあり、

その店内にぎっちりと並んだ本棚一杯に、新旧入り乱れた無数の書物が無秩序に詰め込まれていた。

料理本の横に政治の本、其の隣りに何食わぬ顔をして収まる絵本を見るに、店主の無頓着な性格がよく現れた店だと思う。

 

ただ、最近発売された新刊と思しき本だけはレジの横手に纏めて平積みしてあるらしい。

此の店に常連がいるとすれば、恐らくは大抵其処から目当ての本を入手しているのだろう。

考えようによっては、分かりやすいと云えば分かりやすいシステムだ。

 

忍の隠れ里であるからには、そういった専門的な本ばかりが置いてあるのかと思ったけれど、

意外と普通であることに、逆にちょっとがっかりした。もっと面白可笑しい変なものを期待していたのに。

(しかしそれは書店にするような期待ではないことだけは確かである。)

それとも、此のひっそりと目立たぬ場所に佇む此の書店がマイノリティーなのだろうか。

 

つらつらと考え事をしながら妙な並びをする脈絡の無い本棚を覗き込んでいると、だんだん楽しくなって来る。

店内はひそりと紙のにおいがして、静かで居心地がよい。

店主らしきおじいさんはレジの向こうで、老眼鏡を掛けつつずっと静かに本を読んでいる。恐らくはよほどの本好きだ。

 

 

店内には私の他にも数人の客がいて、私が随分と長居している間に入れ替わり立ち替わりしつつも、地味に人足は途絶えない。

黒く丸いレンズのサングラスを掛けた几帳面そうな忍者は、非常に小難しそうな本と子供向けの辞書を買っていった。

(彼には「教授さん」と云うあだ名を勝手に付けた。)

 

其の後に来た二人連れの内、片方は以前受付にいた「クロさん」で、もう一人は長めの前髪で片目を隠した忍者だ。

彼にもあだ名を、と思っていたのだが、聞こえて来た彼らの会話の中で「クロさん」の本名がコテツ、

もう一人の忍者はイズモであると判明してしまった為、命名は未遂に終わった。

惜しい、と意味の分からない残念さを感じ、内心舌打ちをした。彼らにしてみればいい迷惑である。

ちなみに云うと彼らは特に何も買わなかった。雑誌を立ち読みしに来ただけのようだ。

 

私が店内に足を踏み入れた当初からいた青年も、二人の後に店を出て行った。

彼は灰色がかった髪を一つに結わえ、丸い眼鏡を掛けた穏和そうな忍者だった。(彼のあだ名は「受験生さん」である。)

 

 

 

 

そして、暫くした頃にまた人が入って来たのに気付いて何気なく入り口に眼を向けると、

ちょうど敷居を跨いでいた男と眼が合い、しかもお互いに相手の顔に心当たりがあったものだから、思わず、あ、と口を開く。

 

「何だ、どーかしたか、ライドウ。」

 

彼の後ろから続いて入って来た「姐さん」が云う。

そう、店に入って来た、その見覚えのある火傷痕の残る頬は、忘れる筈も無い。

懐中時計の件でお世話になった並足ライドウだった。

しかし此の二人、確か受付の時も一緒に居たよな。なかよしさんなんだろうか。

 

「御礼を申し上げるのが遅れて申し訳ありません。

 先日は、本当にどうもありがとうございました。」

 

「ああ、こちらこそどうも。お探しのもの、ちゃんとみつかったそうで何よりです。」

 

感謝の気持ちを込めて深く一礼すると、やはりと云うか、思った通りの返事が返って来て少々和んだ。

私が笑顔を交わしながらもやっぱり普通が一番だなぁなんて失礼な事を考えているとは、彼には知る由もない。

まさかライドウとこんなところで会うとは。

そう思いつつ彼の後ろにいる「姐さん」にも一応会釈してみると、彼も同じくひょいと頭を軽く下げた。

 

「あんた、こないだの人か。確か岸辺様のとこの。」

 

「あ、はい。と申します。

 先日受付にいらっしゃった忍者さんですよね。」

 

私に声を掛けた「姐さん」にそう返すと彼は、にんじゃさん、と小さく口の中で繰り返し、くつくつと笑い出した。

何がそんなにツボに入ったのかはちょっとよく理解できなかったが、失礼な人である。

私も人の事を云えた義理ではないが他人に其れと悟らせるような失礼はしていないつもりだ。(あくまでつもり、だが。)

 

「おい、ゲンマ!…ったく。すみません。」

 

「あーいやいや、つい、な。

 にんじゃさんって、なんっかえらい可愛い響きだったからよ。」

 

どう反応していいやら分からなかったので取り敢えず真顔でスルーしていた私に謝りつつも、彼を諌めるライドウ。

まだ顔をにやつかせながら悪びれない様子の「姐さん」もといゲンマ。

何ともカオスな空間である。

 

そうしてゲンマはばしばしとライドウの背中を叩いてレジに向かい、店主に話し掛けたかと思うと、

取り置きでも頼んでいたのか、レジの台の下から取り出された数冊の本を購入して戻って来る。

 

「それじゃあ、またな。さんよ。」

 

ゲンマは去り際にぽん、と私の頭に手を置いて、さっさと店を出て行った。

挨拶もそこそこにゲンマを追うライドウを、思わず眼を見開いて若干固まったままに見送りながら、

本来ならまた会わない内に屋敷に戻れるのが理想的なんですが、とは云えなかった。

 

 

 

 

ゲンマとライドウの二人が立ち去った後、夕方頃には学校だか任務だかの帰りらしい子供も数人来た。

中でもナルトとそう歳の変わらないように見える、不思議な白い瞳をした長髪の少年は、

特に印象に残ったのでよく覚えている。額宛を付けていたので、正式な忍者らしいことはわかった。

(彼には安易に「シロくん」とあだ名を付けてみた。)

 

そしてはっと気付けばもう陽が落ち始めて随分経っている事に気付き、慌てて店を出る。

本と人間を眺めるのに夢中になりすぎたかと、店主のおじいさんに居座ってしまってごめんなさいと一声掛けると、

老眼鏡の奥の小さな眼を細めてにっと笑い、掠れた声でまたどうぞ、と云った。

…また来てもいいようだ。

 

なかなかに素敵な書店と店主であったと満足しながら歩けば、

まるでナルト達のような、子供三人、大人一人の四人組の忍者とすれ違った。

銜え煙草と髭のダンディーな忍者さん、後ろに流した黒髪をきゅっと一つに括り上げたどこか怠そうな少年、

少々嵩高い感じの少年と、淡い蜂蜜色の髪が綺麗な少女。

 

よく似た構成人員と年齢からして、ナルトと同じくまだ駆け出しの忍者なのかもしれない。

あだ名をいっぺんに考えるのは面倒だったので、取り敢えず銜え煙草の彼にだけ「クマさん」と名付けてみた。

「クマさん」を中心としてきゃっきゃと騒ぎながら歩いて行く姿はやはり微笑ましいものがある。

 

 

 

 

 

 

 

癖になりつつある動作で何気なく夜空を見上げれば、

今日はやけに明るい満月が淡黄の面を天幕に滲ませている。どうりで星がいつもより少ない。

 

急いで最短距離で帰宅するつもりであったが、月の美しさに少し浮かれたのか、足がついつい遠回りになる道を選ぶ。

静寂の沼にひっそりと沈む小さな公園を、街灯の光が視界に入りにくい所を選んでのんびりと横切る。

覚束無い足元に気を配ってはまた空を見上げることを繰り返しながら。

 

ああ、静かだ。

らしくもなく少ししんみりした気持ちを抱えれば、普段は考えないようにしている先の不安が首をもたげて来る。

泣いたりはするものか。それでどうなる。惨めったらしく涙したとて募るのは屈辱と羞恥だけではないか。

そう考えども、そう考えていなければ泣きたくなってしまう自分の心の脆弱さが苦々しい。

くだらないな、と溜め息を吐いて思考を振り払ったとき、視界の端に一瞬何かが横切るのが見えた。

 

横手へぱっと顔を向けると、何処からか舞い降りて音も無く地面へと着地した、一人の忍者と眼が合った。

見覚えのある容貌に視線を外すのも忘れて眼を見開けども、

其の男は至って静かな、夜の湖面を覗き込んだように、とろりと光を反射する眼で私を見つめ返した。

 

「…今日は迷子ではありませんので、ご安心を。」

 

彼の咳込む声で我に返り、少しにやりとした顔を作ってそう声を掛けてみれば、

「忍者さん」は幾らか瞬きをして、かすかに眼を細めて口端を上げる。本当にささやかに微笑む人だ。

まさかこんな何でもない所でまた会うことになるとは思いも寄らなかったが、此れはなかなかにいい塩梅だと思う。

此の男に会うのなら、昼日中よりも宵闇の頃が最も自然なように思われたからだ。

 

さん、と、おっしゃいましたか…。

 …このような時間に出歩く事は、あまりお進めしません。

 貴方に何かあっては、岸辺様に申し訳が立たないんですね。」

 

何処迄も真面目な、と思いかけて、だがしかし本来忍者とは、私欲を捨てた職務に忠実な者を指すことを思い出し、

此れが本来の忍としてのあるべき姿なのかもしれないと思い直した。

(…あまり忍者っぽくない行動をとる忍者ばかり見ていたせいで、私の認識がどうも歪んでいたようだ。慣れとは恐ろしいものである。)

 

一応身を案じてくれているらしい「忍者さん」の言葉だが、主様の名を出された時、少し笑えなくなった。

主様は優しい方だから、私に何かあれば少しは心配してくれるだろうし、

仮に何かあって私が気にしないと云っても、主様の大名としての立場や里の立場としてそういう訳にはいかなくなることもわかる。

 

私とて主様の代理と云う、その意味と立場は弁えているつもりだ。

けれど彼の言葉があんまりにも真直ぐであるが故に、私を通り抜けて行ってしまうような其の音が、何故か少し寂しかった。

其の言葉の向かう先には、きっと「私」はいない。

 

「……。

 ご忠告ありがたく。」

 

喉の奥につっかえたような蟠りを押さえつけ、少し不自然な間が空いてしまったが、

何事も無かったように薄っぺらく微笑んでそれだけの言葉を必死で絞り出して小さく答えた。

 

しかし後には妙な沈黙が流れ、けれど切り出す話題も見つからない。

ああ、だが、けれど、しかし。

私はあの少年忍者と共に歩いていた時、ささやかな決意をしたのだった。

名前くらい聞いてみようじゃないか、と。

 

「それでは、私は此れで…」

 

「あ、あの。」

 

すっと会釈をして今にも去ろうとしていた「忍者さん」を思わず呼び止め、

なんでしょうと云いつつ振り向き咳き込んだ彼を、真直ぐにただ見遣る。

 

開き直ってしまえばいい、と思えば、口を開いても声はするりと出てくれる。

彼と相対した前回も今回も、どうも調子が狂っていると思えば、何て事は無い、

どちらも丁度私が少し落ち込んでいる時であったからだと思い至り、胸の内で苦笑いした。

 

「今更ではありますが、先日はどうもお手数をお掛けしました。改めて御礼を申し上げます。

 …あと、もし差し支えなければ、忍者さんにお聞きしたいのですが。」

 

「…何か?」

 

「いえね、お名前を。」

 

にんじゃさん、じゃあ、あんまり定義が広過ぎますでしょう。そう笑って云ってみせれば、

彼は少し意外そうな顔をして、少し私に向き直った。其の弾みに、彼の背中でカチリと刀が音を立てた。

 

「私は月光ハヤテといいます。」

 

私の躊躇が馬鹿馬鹿しく思えるくらいにあっさりと名乗ってくれた彼を見て、何だか気が楽になって、思わず頬が緩む。

然らばこそ私のチキンハートも報われるというものだ。

そしてまぁ、なんと、今日というこの日に尋ねるに、お誂え向きな名前だろうか!

 

「いい名前ですねぇ。

 今夜など、特に。」

 

のんびりそう云って私が笑うと、ハヤテは少し言葉に詰まったようにはたりと瞬いて逡巡し、けれどすぐに苦笑した。

 

「…それはどうも、ありがとうございます。」

 

そうして今度こそ去り行くハヤテを見送り、(とは云え、一瞬で姿を消してしまったのだが)

私もさっさと家に帰ろうと今度は足早に家路を急ぐ。

何だかとても疲れてしまったが、それでも厭な疲労感ではない。

私は口元で小さくにやりと甘ったるい笑いを噛み潰した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

next.

 

(10.4.1)

 

 

 

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