０７殴られた

 

 

 

 

にやにやと口元に嘲るような侮辱の笑みを佩き、唾液と血液の混じり合ったものがだらりと其の隙間から流れ出す。

奥歯の一つでも欠けたのか、口腔の粘膜に触れる歯列に違和感を感じた。

 

欠けたなら埋めればよい。罪悪を犯したなら贖えばよい。

身体から血が失われたならまた作り直せばよい。怪我なら塞げばよい。

 

全ては自己の存在を確立させていればどうとでも出来ることであるし、

何より私は忍と云う特殊な専門職に従事する一つの捨て駒なのだ、

やろうと思えば理論の無茶苦茶な術だの何だのをこねくり回せばどうとでもなるのだから。

 

恥辱や屈辱の一つさえも全く感じない様子の私の恥知らずな嘲笑に業を煮やしたのか、

忍らしからぬ頭に血が上った様子で、殲滅対象である敵の忍はまた私をその固い拳で殴りつけた。

其の弾みで頭が軽く吹っ飛び、身体は傾ぎ掛けたが、チャクラでも流し込んであるのだろうか、

私の腕と胴を大木の幹に縛り付ける荒縄は其の衝撃にもびくともしない。

ああ、それとも私が抵抗していないから衝撃をまともに受けただけで、こいつの腕は大したこと無かっただけか、

と私は張れた頬と重い瞼と引き攣れて痛む唇をそれでも歪めてにやにやと嗤い続けた。

 

私の嗤笑を受けた程度で頭に血が上ってこんなにおざなりな拷問しか出来ないこの対象の稚拙且つ低能な素養は、

滅私奉公を基本理念とする忍としての気質に適正を酷く欠いていて実に嘆かわしい限りだ。

 

此の今の脆き均衡の上に保たれた生温い平和を騙る皮膜に毒されてしまったのか、

私の知る此処数年に於いても忍の質と云うものは随分と落ちてしまったような気がしてならない。

己を殺して駒として正確に動くことも忘れた日和見主義的な忍ばかりになってしまえば、

きっとそんなものは既に忍と呼称することさえ烏滸がましいものである。

ああ何と恥知らずなことか！

 

顔を歪ませるだけでなく今度は掠れた声さえ上げて身体を揺らしながら嗤う私に、

怒りを露にした対象がもう一度私の血に塗れて薄汚れた拳を振り上げたのと同時に、

対象の身体は一瞬で何処かに吹っ飛んで行ってしまった。

 

視界から消えた忍崩れの粗忽者に興味はすぐに失せ、

私はみっともなく腫れて歪んでおんなとも思えないような醜い顔を上げれば、

重い瞼のせいで狭まった視界の中で私を見下ろしていたのは、古傷だらけの顔を歪ませた森野イビキだった。

 

これはまた手酷くやられたな、と苦笑いをしようとして失敗したような歪な笑みを零したイビキに、

貴方程ではない、と皮肉で返して私は笑った。

それにしたってひでぇ面だな、と遠回しに不細工だとイビキに笑われたので、

余計な世話だ、あんたこそ鏡で自分でも見てみろよ、と揶揄しながら血反吐を吐き捨てた。

 

後始末諸々は全てイビキと其の部下に任せ、私は彼に命じられて取り敢えず病院に行った。

顔の腫れは酷かったが身体はぴんぴんしている。

入院する程でも無かったので結果的には顔中にぐるぐると包帯を木乃伊の様に巻いて帰宅するに至った。

 

自室に入ると即座に出来うる限りの強固な結界を部屋中に張り巡らせ、窓や扉の類いには厳重なトラップを何重にも仕掛け、

侵入者は鼠一匹でも赦さないと云う強固な意志を明確に示しておいた。

此れで幾ら特別上忍や上忍クラスの友人達でもそうやすやすと侵入しては来れまい。

一頻り自分の行為に満足した私は、そのまま顔の腫れが引く迄数日間一歩も外に出ることは無かった。

 

 

 

包帯は既にひっぺがしてあった。

まぁトマトが傷に滲みるなぁで済ませられる程度にはまともな顔になったのを洗面所の鏡で確認し、

まだ目元や口元に残る紫色の生々しい痣を指先でそろりと撫でた。

 

腫れた部分が熱を持って夜もなかなか眠れなかった日が続いていた時はさすがの私も少々まいってしまったが、

此れですぐにでも任務に復帰出来る程度には身体も見た目も回復した。

何処かの誰かさんのように、少し眼の下に隈ができていたが、今夜ぐっすり眠れれば其れも問題は無い。

そう考えた所で、鏡の中の私は何とも云えない憮然とした顔ではぁと溜め息を吐いていた。

部屋の外に訪れた、「誰かさん」の気配には心底呆れたものだった。

 

一応私も女の端くれなので、不細工に腫れ上がった顔は誰にも見せたくは無かった故、

部屋に籠りきりで数日間誰とも会わずに過ごして来たのだが、

毎日のように入れもしないと分かっていて玄関前に律儀に訪れていた気配は、いつも同じ気配だった。

 

まぁいいだろうと唇を小さく舐めてにぃと微笑み、玄関前で空咳を零しながら佇んでいるであろう彼の為に、

私はのんびりと結界とトラップの解除に着手した。

 

 

 

 

 

 

 

(10.3.14)