04叫ぶ
それはわたしの大事なものではありませんから、とハヤテが如何にも悟ったようなことを云うので、
その完全だと云わんばかりの彼の到達した境地を少し覗いてみたくなり、純粋な好奇心のみを用いて、
きみが本当に大事なものはなんですか、と私が問えば、ハヤテはただ静かに鷹揚と微笑んだ。
私にはハヤテのその表情言語を理解する事が出来なかったのだが、
理解できないのももちろん本当だけれどもっと本当のことを云うと、
理解したく無かったとするのが最も適切な表現なのだろうとは知っている。
知っているからと云って其れが何になるのだと云う主張もまた容認する。
そもそも彼がそんな曖昧な表情言語で他者と完全なる意思の疎通を行うことが出来ると思っているならば、
其れが根本的な間違いなのだ。視覚情報は大抵の場合自分に都合の良いように変換して脳に認識されてしまうものだから、
明確で正確な情報の伝達の為には言語化もしくは文書化するべきだ。
よって彼の表情言語を読み取ることを私はとりあえず拒否した。
そして私はその旨を彼に端的に説明して下した結論を眼前に突き付けてみせると、
ハヤテはそれをどう受け取って勝手な変換をかけて歪めて認識してしまったのかは知れないが、
何故か嬉しそうに笑って私の頬に唇を寄せた。
頬に触れた微かな感触は柔らかく、けれど私の体温よりは低く、
少し乾いたそれはまるで柔らかい蛇が掠めたような心地だった。
きみのくちびるは冷たいね、と云うとハヤテは少し首を傾げるので、
彼に普通の人間の温度と云うものを教えてやる為に私は彼の青白い頬に自分の唇を寄せてやった。
そうして触れた彼の頬もまた少し冷たくて、けれどその皮膚の内側に潜む小さな温度の塊を見つけ、
ああ、彼は生きたにんげんなのだな、と思った。
そうしてファンタズマゴリアは巡り行く。
いや、別に私は死にはしないけれど。
しかしこのまま放置されれば、ひゅうひゅうとおかしくなって行く呼吸が示している通り、
有り触れた生物の宿命として当然の結末を迎えるだろうことは理解できた。
しかしまぁ大分前に応援要請を携えた使者を里に向かわせたし、敵は殲滅してあるから寝ていても問題ない。
そもそも此処は里からそう遠く離れてはいない場所だ。
直に我らが里の誇る優秀なる医療忍者達が駆けつけ、私の血みどろの無様な様相を見下ろして、
これは大変とばかりにとっとと処置してくれれば命に何の問題も無かろうよ。
血がどくりどくりと流れて身体が冷えて行くのを感じながら私は冷静に自分の状態を把握して、
地面にぐったりと横たわったまま大人しく待機するべく霞む眼をゆるく閉じる。
血を吐いたせいで口の中が気持ち悪い。鉄錆の味に嫌悪感を感じつつ、生理的に唾液が溢れて来る。
少し首を擡げて、ぺっとそれらを吐き出した。血の味は嫌いだ。
ふ、とよく知る気配が遠くから近寄ってくるのを朧げに感じたかとおもうと、
其れはあっという間にぐんぐん濃度を増し、ざっと砂利を踏みにじる音と共に一瞬で私のすぐ傍に現れた。
閉じていた眼を開こうかと思った其の刹那、私は頭上から、
世界を引き裂かんばかりの悲痛と怒りに溢れた絶叫が注いだ。
知っている筈の声の知らない発声に驚いて眼をゆるりと開いて視線だけで見上げると、
少し乱暴に私を抱き起こしたハヤテが顔を歪めて私を覗き込んでいた。
そう云えばハヤテとライドウとスリーマンセルを組んでいたんだった。
ハヤテとライドウとは敵と応戦している間に逸れて。
其れに気付いた別の班が里に向かってて。
そいつらももうすぐ医療忍者あたりを連れて帰って来る頃で。
そしてハヤテが私を見つけて、
ああ、だが、あれ、おかしいな、きみは今どうしてそんなに、声を荒げたの。
ハヤテの顔色は平生よりもずっと血の気が引いていて、
出血により体温の下がっている私よりも私の頬に触れたハヤテの手の方が冷たかった。
これではどちらが重傷なんだかわからないではないか、とゆるゆると引き攣る頬で笑ってやったら、
ぎりぎりと歯を噛み締めたハヤテが泣きそうにも見える様相で更に顔を歪めていた。
忍者らしい忍者の代名詞を地で行き、冷静沈着の看板を引っさげて歩いているかのようなハヤテが、
血を流して倒れている私を見たくらいであれほど取り乱して感情の侭に獣のような叫びを上げた癖に、
それでも涙だけはどうしても流す事が出来ないハヤテが可笑しかった。
取り乱すことは出来るのに涙は流せないだなんて、本当に滑稽な「忍」だ。
私の頬を撫でる冷たいハヤテの手が、けれど震えているのを肌で感じながら、
ああ、彼はそれでも、生きたにんげんであろうとするのだな、と、私は朦朧とする意識の中で小さく笑って見せた。
(10.3.14)
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