03噛む
人を殺した後と云うのは、概ね私も例に漏れず気が立っている。
気が高ぶるとかそういう興奮的な意味ではなく、私の場合はどちらかというと、
静かに静かに何か得体の知れない憤怒のようなものが腑の底から沸き上がるような心地になるのだ。
そして其れは些細なことでマグマのように噴き出して平生ならあり得ないくらいの苛立ちとして吐き出される。
だから人殺しの任務の後は誰にも会いたく無い。会えば八つ当たりせずにはいられなくなるし、
更に其の八つ当たりを逆撫でするような言動を取る空気の読めない人間などには、酷く残虐な気持ちになってしまうからだ。
幸い私のそんな厄介な気質を知る友人達は、非常に空気の読める大人である。
逆に云えばだから私は友達が少ないのだとも云えるが、今はそれについては棚上げしておくものとする。
しかし、しかしだ。
そんな友人の中に一人だけ、空気を読めているのに読めない振りをして、
私の憤怒に手を突っ込みまさぐり掻き回してあまつさえ引きずり出そうとする人間が居る。
其の男は、今まさに必死で無意味な怒りと苛立ちを檻に閉じ込めている私の目の前に立ちはだかり、
能面のように温度無く微笑んでいる。
ぎりぎりと歯を噛み締める私の感情がどれほど暴力的に私の腹の内を引き裂いて咆哮しているのかを知りながら。
「其処退いてよ。」
「厭なんですね。」
「厭でも退け。」
「退きません。」
こほこほと空咳を繰り返すハヤテに苛立ちのあまり泣きそうになる。
どうして私が心底そんな行為を止めて欲しいのかくらい彼は分かっている筈なのに。
私だって別に、他者に八つ当たりしてすっきりしようだとか、
それで楽しいとか思えるような能天気なガキじゃないことくらい彼によくよく分かっている筈なのに。
私が人を殴ったらすっきりするとか云えるような下衆だったらどんなにか良かっただろうと下衆なことを考えて吐き気がした。
必要とあらば任務とあらば命令とあらば、いくらでも、命を摘み取ることくらい何の躊躇も無くしてやるけれど、
私だって好きでそんなことしてるわけじゃないんだしハヤテだってカカシだってゲンマだってテンゾウだって
アンコだって紅だってアスマだってライドウもアオバもエビスもイワシもイビキもコテツもイズモもガイもイルカも火影様も!
皆みんなみんな!
「…大丈夫ですか、」
(ふざけるな。大丈夫な訳無い。私の視界から失せろ。顔も見たく無い。話し掛けるな。声も聞きたく無い。)
語彙の限りを尽くして、目の前で穏やかに私を案じるハヤテを罵倒してしまいそうになるのを、
ぎゅっと唇を引き結ぶことで何とか押さえつけた。
肺の腑も胃の腑も血液も全てが暴れのたうって私に解放を求める。
けれど私はハヤテにそんな八つ当たりをしたい訳ではないし、
むしろ其れを彼にぶつければぶつける程に自己嫌悪として私の中で毒に変成されてしまう。
そうするともうどうにも此の感情のやり場が無いのだ。
口を閉じているのも苦しくてああもう呼吸も鼓動も職場放棄してどこかに出て行ってしまえばいいのにと思った。
泣きそうだ。握り締めた手が震える。
ハヤテはそんな私の、抑圧に次ぐ抑圧にぎりぎりまで引き絞られた感情の矢の正面に、
当たり前のような顔をして平生のスタンスを崩すこと無く悠然と立っている。
そうして私の震える手を掴み上げ、掌に固く食い込む指を解こうとなんてするのだから手に負えない。
「…っ、生き地獄だ、…」
ハヤテは血を吐くような息苦しい私の言葉を黙って受け取った。
そして私の頬を両の手で柔らかく包み込んだ。
此の手が私の首を絞めてくれたなら、私の中で荒れ狂う怒りも穏やかに眠ってくれるのに。
衝動が衝動を呼んで連鎖反応は止まらない。
私が私を制圧する力を失った時、私はすぐ傍にあったハヤテの手首に噛み付いた。
「 さん、痛いですよ…。」
さして痛くも無さそうな声で、よくもぬけぬけと。
ハヤテの手首の内側、その柔らかい皮膚に立てた犬歯から、赤い錆の味が滲んでゆく。
其の味にふいに興醒めした私は彼の手首から口を離すと、
血の滲んでいる噛み後を狗のようにゆっくりとひと舐めして舌で拭ってやった。
一瞬眼を見開いたハヤテを視界の端で見て其の顔が珍しいなと思ったら、
次の瞬間には何故か今度は私の唇にハヤテが噛み付いた。
私を貪るように甘噛みして舐めるハヤテのやわらかい体温を唇で感じながら、
どうしてこんなことになったんだろうかと考え、私はとても冷静になった。
ああ、これではまるで狗のじゃれあいのようではないか。
(10.3.14)
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