01たたく

 

 

 

 

 

「貴女は本当に、哀れなひとですね。」

 

私を見たハヤテの開口一番の台詞が其れだった。

私が爪の白く成る程ぎりぎりと握り締めている、椅子だったものの破片が掌に食い込んでいる。

ああ、痛いな、と頭の奥の左隅でぼやけた考え事をしながら意味の無い破片を手放した。

 

からりと乾いた音を立ててフローリングに転がった其れは、

私の感情を何一つ奪うことも動かすことも触れることすらできないのだざまぁみろ!

馬鹿馬鹿しい。

 

椅子は破片と化し、机は足が折れて傾き、其の上に置いてあった陶製の花瓶は、

僅かな水を撒き散らしながら砕け散っている。

生けられていた花は既に枯れており、水に浸かっていた茎は表面がぬるりと腐敗していた。

テーブルを覆っていたクロスは濡れて破片に塗れて破れてぐしゃぐしゃになって倒れている。

カーテンは破れて薄暗い部屋に歪な陽光をもたらした。

床には破れた本や切り裂かれた雑誌や粉々の硝子の洋盃や衣類が足の踏み場も無いくらい散乱している。

壁は刀で斬りつけた痕や刺さったクナイ、千本、折れた刀の切先、焦げ跡、時折どす黒い染み。

 

まるで獣が暴れ回ったような酷い様相の部屋だ。

ああ、暴れたのは私だった。

そうか、私は獣だったのか。

 

ふふ、と虚ろな眼で虚空を見つめながら自分の思考に納得して空嗤う。

けれど生まれついて獣であったならどれほど私は幸福であったろう。

生きる為に被捕食者の喉笛に喰らいつき、時に捕食者の胃袋に収まるような、

そんな食物連鎖の直中に生まれついたのなら幾らか自分という存在についても諦めがつく筈ではないだろうか。

 

「哀れなのは、君の方だよ、ハヤテ。」

 

虚ろに眼を伏せて嗤う私の背後にはいつのまにかハヤテの希薄な気配があった。

彼は本当に忍らしい忍だ。

いついかなるどんなときでも冷静沈着で、必要ならどんな手段を使ってでも、

どんなことでも命令とあらば任務とあらば黙ってやり遂げるそんな忍らしい忍だ。

それでいて妙に穏やかで他人に無頓着な癖にお人好しなところもあって、

冷酷なのに他人を放っておけないだなんて云うような優しさとか呼ばれる類いの感情もちゃんと所持している。

矛盾と生温さと冷徹さが混じり合ったハヤテという皮を被ったその有り様は実に人間らしくて、いっそ哀れだ。

 

さん、」

 

耳元で低く落ちるハヤテの憐憫を捩じ込んだような声を聞いた瞬間、

私は目の前が真っ赤になり、胸の中に生まれたどす黒くて熱い塊が心臓を鷲掴みにして私を一瞬で唆した。

気付けば私は振り向き様、ハヤテという存在自体を振り払おうとするようにハヤテの頬を叩いていた。

 

パシンと空回る音はまるで鞭を打ったようだ。彼は避けなかった。

 

「君はいつもそうだ…何故避けないの、だって、…私の、…君は、手が、」

ハヤテの頬は赤く変色していたがそれほどダメージを被っているようには見えなかった。

私ごときが力一杯叩いたところで彼には何にも届かない。

痛みさえ本当には届かない。

 

叩いた掌がじわりと波打つように熱く痛み、指先の震えを感じて、

ぐずぐずと胃の腑が融解して行くような不快感が喉を込み上げるので気分が悪かった。

 

それ以上言葉にもならない音を作る為に喉を震わせることも出来なくなって黙って眉根を寄せて、

ハヤテの顔を見る事が出来なかったので喉元をうろうろと見ていた。

彼の其の喉の中には一体どんな単語や文章が犇めいているのだろう。

 

憐れむ言葉よりも罵倒されたい。赦されるよりも詰られたかった。

ハヤテが決してそうしないことを、私は知っていたから。

 

ハヤテは顔色を悪くする私の頭を緩やかな仕草で自分の胸元に引き寄せ、背中に腕を回して緩慢に抱き締めた。

優しく穏やかな手付きは、しかしそれでも拒絶を赦さない強制力を含んで私に毒を流し込む。

私という獣はその毒に苦しみのたうちまわり這いずるように呻きながら壮絶な最期を遂げるだろう。

逃げ道はない。最初からその選択肢さえ用意されてはいなかったのだ。

 

鼓動を奏でるハヤテの温かな心臓が、もっと冷酷な音を放っていたのなら、

私はこんなにも緩慢な毒に辱められることもなかったのだろうか。

私は痺れた手に血が通うことに怯えていた。きっと、再び通う血は錆の香りの毒。

 

「…哀れだとおもうなら、もう楽にしてくれよ…」

 

震え掠れる声でハヤテの心臓に向かって呟くと、

ハヤテは言葉よりももっと確かな返事を返そうとするかの様に、私をきつくきつく抱き締めた。

 

ほら、ね。

哀れなのは、きみのほうだよ。

 

 

 

 

 

 

 

(10.3.14)

 

 

 

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