子守唄は沼に沈む













私はスパイだ。


と、誰かに、例えばかりそめの同僚として結構良い関係を保ってくれている彼等に云ったって別に良かった。

どうせ木の葉隠れの里での私のスパイとしての仕事なんてもう殆ど残っちゃいないし、

あとは後始末をして大蛇丸の所に戻るくらいしか私のするべき仕事なんてもう無いのだ。

あとの事はすべて薬師カブトの仕事。

しかし一応は私だって大蛇丸の役に立つとか案外ナンセンスで人間くさい打算とかもあったわけで。

そりゃあもちろん痛いよりは何も感じ無い方が楽に決まってる。

だから私は朝一番低血圧で気分は最悪なのに空だけは綺麗で早起きをしてかりそめの仕事を懸命に取り組むふりをして、

無表情で居たいのに無理にでも本心から笑っているように見える笑い方を、それをするのが上手な薬師カブトに倣う。


そんなことに君は多分気付かない。もちろん其れは君だけじゃ無い。



「おはようございます、さん。今日は珍しく早いですね。」


「あぁ、ハヤテさん。おはようございます。

 私も朝は苦手なんですけどね、仕事じゃ仕方なくて。」


ちゃん低血圧だったよねー確か。」


「あれ、いたんですか。カカシさんもおはようございます。

 あはは、私そんなこと貴方に云いましたっけ?」


「こないだの飲み会んとき云ってたじゃん。駄目だよー記憶飛ぶような飲み方はーははは。」


はははは、は。笑う笑うぐるぐると。


全部本当の嘘だ。私はいつも飲み会では酒が余り飲めないふりをして少しだけ付き合いで飲んで酔ったふりをする。

素面で酔った演技をすると云うのもなかなか奥の深いもので私はその場面設定と人物設定として軽く陽気になることにした。

そして差し障りの無いことについて話をして時折話を宙に浮かせて唐突な話題を振り、唐突に黙り、へらりと笑う。

彼等は私を酒に酔っているのだと思い込み、こうして後日談よろしく私に横槍を入れて雑ぜっ返し、

会話をする此の場の和を平均レヴェルに上げようとする。


きっと彼等は正常なようで何処か狂っているのだと思う。

幾ら幼い頃からの教育だとか周囲の一色しか色を持たない環境だとかで精神と思想を歪められていたとしても、

これだけ平和に見える里の中に生活しながら仕事で人を殺して行くのだから、

其れが正常だと一体誰が云えるだろうかと私は考えた。

異常に長く浸かっていて麻痺するならともかく正常と異常を交互に飲み込まねばならないことがどうして幸福に繋がる。

(斯く云う私ももちろん其の狂人の仲間入りはとうに果たしている。里の人間を装う事でも大蛇丸の駒になる事も全部だ。)


「そう云えばカカシさん、何で此処に?

 昨日は受け持ちの下忍さん達と第16演習場を使うとか云ってませんでしたっけ。」


「はは、いいのいいの。どうせあいつらだって俺が時間通りに来るなんて思っちゃいないよ。」


「ま、またそんな堂々と遅刻宣言を…。」


今私は、はたけカカシに向けて呆れた顔をしている。

彼はそんな私の反応を楽しむように片目だけでにやにや笑っている。


(ナンセンスだ。)


「あれっ、ハヤテー何処行くのー。」


「云う迄も無く仕事ですよ。それでは、失礼しますね。」


苦笑を浮かべて律儀にカカシと私に迄一礼して此の場を辞去する彼に曖昧に笑い背中を見送った。

彼の背に暗い影が落ちるのを見たような気分になって少し左肩の奥に不快感を感じた。


ちゃん、」


はい、と何でも無くありきたりな微笑を口元に浮かべてカカシを振り返ると、彼は感情を読み難い眼をして云う。





ちゃんは、ハヤテのこと好きでしょう。」





ナンセンスだ。


彼は勘違いをしている私が月光ハヤテの背中を見て少しぴくりと一瞬動きを止めて彼の去り行く背中を凝視したのは別に彼に特別の想いがあった訳でも何でもなくて単に何かしら妙な質感のもやもやとしたもの例えば其れはある種の予感めいたもので第六感と人が云うようなそういう類いの得体の知れなさだとかを想起させる極めてファジーな現象を見た気がしていたからでしかしながら其れによって月光ハヤテがどうなるかだとか云う問題は私にとってさしたる問題でもなくて彼の末路なんてむしろ知ったこっちゃ無いのだ私は私自身さえ末路なんて別に考えようとも思わないし考えたところで其の末路に何かしらの感傷を持ち得ることも無いのだと思う多分というか此の男はたけカカシは一体どういう神経連合をもってそんな捏造を膨張させて私にそんな事を 云うのだろうか。




「はぁ、まぁ同僚としてカカシさんもハヤテさんも皆好きですよ。

 あー皆と云っても、苦手なひともいますけどね。」


一拍の間を置いて少し地の表情で不思議そうな驚き呆れた顔をした。


「あー、うん、突然ごめんね、変なこと聞いちゃって。

 今のは忘れて良いからね、うん。て云うか忘れて欲しいなーなんて。」


「まぁそう云うことにしておいてあげます。」


にやりと口端をあげるように悪乗りするような声音を塗り固めて私はそういうポーズで静かに此の場を辞去した。

不可解そうにしながらも自嘲じみてカカシは髪を少し掻きむしり、のんびりとした調子で彼も仕事に向かった。


今の彼の仕事は三人の幼い忍を教育することらしい。

彼が異常な環境から離れて暫く経つが、多分今の穏やかさをそれなりに楽しんでいて、

それでいて歪められた正常の定義は彼に異常を求めるように指示していつしか彼を静かなる戦場に駆り立てるのだろう。

駆り立てるのは彼の異常性か世を流れる時勢か。

どちらにせよ彼にとってすべてが無自覚の残酷さだと私はどうでもいいことを考える。


私はスパイで、もうそろそろ仕事を終えて、此の里から雲隠れしながら大蛇丸の手の中に戻る事になる。

私はかりそめの同僚等すべて置き去りにして行くのだしだから彼についての考察なんてとても無意味なのだ。


それでも私は毎日いろいろ考えた。

下忍としてへらへら笑う演技を完璧にこなす薬師カブトについても考えたし、

里を愛していると何のためらいも無く云う三代目火影についても考えたし、

ハヤテについてもカカシについてもゲンマについてもアンコについても紅についてもアスマについても昨日見た雲の形についても。


いろいろなことを考えれば考える程思考は深まりそして私に何の影響も及ぼす事無く無感動な私の中を透いて泡沫は閉じる。

考えたという行為自体は覚えているが、どんなふうに考えたかは幾ら考えても思い出せない。

思い出そうと考えた事さえ思い出せなくなるので此れ程世界の中に無意味なものもないだろう。


「おはようございます。」


そうだ、仕事をしなくては。

今日は朝から少し煩わしい任務が入っていて、それで、それで。










半分の月の夜、私は小さな家にある荷物を全部破棄した。

燃やせるものは燃やしたし、壊せるものは壊して小さくして何が何だか分からないくらい小さくして捨てた。

持って行く荷物なんて無いし、大蛇丸の元へ帰るのなら此の身一つあれば後はもうどうにでもなる。

第一此の里で得たものを音隠れに持ち帰るつもりなんて最初からこれっぽっちも無かった。


家はがらんとして埃と床板の淡い日焼けの跡が残るばかり。

小さな縁側に面している寝室だった部屋の真ん中に腰を降ろし、色褪せた畳の目を撫でながら、

開いた障子の外で天幕にひっかかる半月を眺めていた。


じゃり、と砂を踏む音はわざと立てたらしい、縁側の向こうから戸惑うように現われたのはハヤテだった。

任務帰りなのだろう、背中に刀を一振り下げて月を背に立っている。

人間の匂いも血の匂いも腐敗臭もしない彼は今現在きっと誰よりも正常に異常な忍らしい忍だった。


私は眼で何故此処にいるのかと問うているように見えるように少し眼を見開いてみせた。

するとハヤテは小さく押し殺すようにくぐもった咳をしてからちらりと咳払いをし、

すみません、と透明度の高い低音の声で謝罪を述べる。


「こんばんは、ハヤテさん。えと、こんな時間に、どうしたんですか?」


私は彼が無意識に期待しているであろう言葉を投げ掛ける。

言葉を期待されている時、期待に添うか添わないかを決定するのも演技の奥深さだとどうでもいいことを思った。

(私はいつでも表面と内面と奥底の部分で限り無く分離している。)


「いえ、用と云う程では無いのですが、近くまで来たものですから。

 それより、さん、これは、」


曖昧に言葉を濁した彼だが、云いたいことはもちろん分っている。

月が半分なので、私はもうどうでもいいのだなと脈絡も無いけれど確実さを交えてそう考える。


「はは、清々しいくらいに伽藍堂の家になりました。残っているのは埃と私だけみたいですね。」


いつもよりも演技性が減った半端で笑えない笑い方をして、縁側迄にじり寄り、脚を投げ出してふらりと揺らす。

子供のような仕草とも云えないこともない仕草だが、生憎私は子供の頃こういう仕草をしたことが無いのだ。

月が半分だしハヤテがいるし、私はどんどんどうでもいいことへ思考がスライドしていくのを感じていた。


「引越しでも、なさるんですか。」


彼にしては珍しく踏み込んだ質問をする。彼は線引きの上手い人で、プライヴァシーの領域をわきまえている。

何に対しても動揺を見せない人だと思っていたが、どうも彼は私への戸惑いが拭えず平生の自分のスタンスを忘却しているらしかった。


「夜中に引越しする人もそうそういないですよね。夜逃げじゃないんですから。」


あははと口先だけで渇ききった笑いを浮かべ、私は徐々に本来の、演技もしていない『無』の自分を思い出し始める。

身動きも出来ない程の荷物は全部捨ててしまったし、後は私が此処を去るだけ。

私は駒だ。ただの捨て駒。


「なら…」


「昼間、」


云い掛けたハヤテを遮ると、彼は口を閉じて私を真直ぐに見つめ黙った。

其の姿が何故か健気にも見える。

この人はこういうひとだったのかと。


「昼間、カカシさんに、私がハヤテさんの事を好きなのだろう、と云われましたよ。」


少し面喰らった表情を見せる彼に眼を細める。


「それで、あなたは何と答えたのですか。」


「うん、あなたの事もカカシさんのことも大方皆好きだよと云いました。」


皆好きだと云うことは、皆好きではないと云うことになる。

私が演技をすることでいつも笑っているのは、いつも笑っていないからなのだ。


奇妙な表情をしてみせた彼はただ一言そうですかと云った。

彼も演技が得意そうだと思う。でも多分私の方が上手に顔を作れる。(そして薬師カブトは私より演技が上手い。)

しかし、彼の今の演技は何だか下手で、彼の感情を理解してしまって、私は少し面倒な気持ちになった。

嬉しいとか困るとか嫌だとかそういう事では無い、一番意図に近い言葉で表すならば、『面倒』なのだった。


「あなたは私のことがすきですか。」


狡い質問をわざとした。

彼も私の意図に気付いているのだろう。

一瞬泣き出しそうにみえたのだが、それはすぐに慈悲深く寂寥の表情で歪に笑んだふうに見えるようになった。


「えぇ、好きです。」


諦めたようなそれでも愛おしげな声音があまりに面倒だった。

私は扉を閉ざし、彼はそれと同時に扉を開いた。

無慈悲にも思える行為をどうして彼は実行してしまったのか、

一言私と同じように曖昧に逃げれば彼はこんな思いをする事は無かっただろうに。


「私は今夜この里からいなくなります。

 追わないで下さいね。あなたを殺してしまうのは面倒だから。

 私がやらなくても、あの人がやるから。」


「里を抜ける、と、そう云っているのですか…!」


彼がそんなに声を荒げるのが不思議だった。

彼ならば、黙って私を殺すか、黙って見逃すかのどちらかをすると私は思い込んでいたからだ。

理性的な態度を取る姿をいつも見せられていたから、全てに寛容になれる人なんだと思い込んでいた。

初めてこの男を人間だと認識したような気分になって、何だか私は吐き気がして気分が悪くなってきた。


「私はスパイですから。」


ハヤテは眼を見開いた。

私が彼の信じていた私を覆すように云う度、彼は彼をますます露呈して行く。

何故彼は私を好きだなんて云ったのだろう。

彼は私を愛したのだろうか。


「あの人に云われて此処に来ました。

 だからあの人に云われて此処を去るんです。

 すべては、かりそめです。

 だって、私はあの人の駒なんだし、あの人の手に落ちるべくあの人に始まりあの人に終わるんです。

 だから私はあの人の駒、捨て駒になるんです。」


「そんなこと、正しくありません。

 だって、そんな、さんの云う『あの人』とやらに利用されて捨てられると、

 そんな結末を甘んじて受ける必要等あなたには無いはずです。」


まるで駄々をこねる子供を前にしているような気持ちになるのは、

彼の言葉が余りに剥き出しで辿々しかったから。


「正しいだなんて、正義だなんて、一体どれ程あやふやな言葉か、ハヤテさんは知っていらっしゃるのに。

 詮無い事を云って私を困らせないで下さい。」


困って等いないけれど、何だか投げ遺りな気分だった。

ナンセンスな事を云っていると彼自身わかりきっているのに、

それでもそんな事を云わずにはいられない彼が痛々しいように見えた。


何故彼は私を好きだなんて云ったのだろう。

何故、私だったんだろう。


申し訳なさも後ろめたさも何も無いし、彼に与えられるもの等一切無かったけれど、彼はとてもかわいそうだと思った。

彼をかわいそうにしたものが例え全て私に起因する感情であっても、罪悪感は無く、ただかわいそうだと思うばかりで。


「興味無いし、無意味なんです。

 ナンセンスなんです。

 例え何がどうなろうと、私はあの人の為に動かされて死ぬのは条理を逸した当たり前のことなんです。」


身体の中身がひどくからっぽのようで、生物の音だとか夜風だとかがやたらと反響して耳に残りそして消える。

ハヤテが私に触れなければいいのだと思う。

ハヤテが私をもう見なければいいのだと思う。

ハヤテが私を好きだなんてもう二度と思わなければいいと思う。

もう私を愛したりしなければいい。


「きみはかわいそうだ。」


自分を可哀想だとも思わない私よりも、ずっと。

彼に云うべき言葉を、私は既に持ち合わせていない。
















fin.




「ピストル」の少し前の御話。

(04.8.24)


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