さくらあめ















春雨と云うものは、とても狂ったように風情が在って美しいですね、と私が云うと、

私の隣で、桜の花なんかよりももっと儚気な男が力無く(見える)笑顔を私に向けていた。

そして、でも困りましたね、と咳混じりに云った。

其の声音はたいして困っているふうには聞こえない。







私と月光ハヤテはお互いがお互いに親近感を抱くような、でも少し距離を置いて接しあうような、

極めて意味の解らない付き合い方をするような奇妙な関係だった。


残り香みたいな恋心が少なくとも私にはあったような気もするのだが、

それに捕らわれて盲目的に彼を愛するような真似はしたくなかった。

自分にとっても、彼にとっても、そんなものはまったくの無価値なものなのだ。


そんな考え事をしながら、私はお気に入りの桜林を歩いている。

山の深いところにあるこの桜林は今満開に咲き誇っていて、しかし奥地の辺境である為と、

もっと美しく相応しい場所は他にたくさんある為に、花見という建て前を掲げて酒の香に溺れるものは、

私がここに何気なく足を運ぶようになって数年経つけれど、見たことがない。


加えて、今日の天気というものはひどく視界が悪くなるような薄暗い曇天だった。

如何にも、雨がふりますよ、と予告をしてくれているような天気。

それに構わず、しかし、雨傘ひとつ持たないで家をふらふらと出た、私。


(雨が降ったなら濡れればいゝ。)

(晴れたなら陽を浴びればいゝ。)


稲妻を伴う雨が来る。膚でそう予感した私が空を見上げれば、頬に雫が落ちた。

遠くの雷鳴(どんどん近付いてくる)、濡れる薄紅(綺麗だ)、生暖かい雨粒(直に冷たくなる)。

なんて春はこんなにも美しいのだろうと感嘆を洩らした私に、静かな声が投げかけられた。


さん、風邪をひきますよ、」


ごほごほと咳き込みながら云う月光ハヤテが突然現われて、私にやんわりと警告している。

口元に手をあてている彼の表情は、しかし、微笑みはしていないけれど酷く穏やかだった。

(どれほど言い聞かせても私が彼の助言に従わないだろうことを、知っているからだ。)


「いつでも突然にでていらっしゃるんですね。」


「えぇ、まぁ、忍ですから。」


大変面妖な理屈では在るが、それはそれで筋が通っている。(ような気がする。)

そうだ、彼は忍なのだから、術かなにかを行使して、いきなり私の目の前にあらわれることも、

いきなり私の背後にあらわれることも、たいして不思議では無い。


「風邪などは別にどうでもいいのですけれど、折角ですので、雨宿りでもしませんか。」


「雨宿り、ですか。」


「そうです。」


曖昧に微笑んだ私は20歩程歩いた先に在る桜の大木の幹に背を預けて、樹と天を見上げた。

ハヤテも私が促すのに黙って従い、私の隣に同じく幹に背を向けて立っている。

ますます降り出した雨にしなだれる桜の花々は濡れゆき、花枝の隙間から溢れる天雫が肩を打った。


雫と共に、花弁落つる。


「ハヤテさん、おしごとはもうお済みになったのですか。」


「えぇ、まぁ・・・・。」


「雨と一緒になって、濡れて散った桜のはなびらまで降ってくる。綺麗ですね。」


「そうですね。」


ハヤテは言葉少なだった。私も饒舌な方ではなかった。

私達が無口なのは、その性質のせいだけではない、云う間でも無く、この情景の中で交わす言葉が、

例え美しい言葉だったとしても、どれ程陳腐になってしまうのだろうかという危惧。


結果、私達は雨宿りしつつも時折は花雨に打たれ、雷鳴を聞き、雨音を聞き、景色を見遣る。

雨に煙る薄霧のような靄が全ての輪郭を曖昧にして、雨雲の下に佇む私達を一層奇妙な昼の薄闇に包む。

この季節独特の狂った時間が冷たくなった膚に心地よかった。


不意に、雷鳴が乾坤を震わせる叫びを轟かせ、一瞬の閃光が辺りを照らした。

雷鳴の美しさと云ったら、ない。

私は雷鳴にちっとも怖れを抱かなかったが、その美しさに魅了され、

皮膚下に蟲が這いずり回るような震えを感じた。


さん、」


「はい、なんでしょう。」


「雷は苦手ですか、」


私の歓喜の身震いを、恐怖だと捉えたハヤテが、困ったような顔をして私の顔を覗き込んだ。

その彼の気遣いがあまりに健気で愛らしいと、私は心の奥底で密やかに思った。


「いいえ。違うんです。

 えぇ、私は大丈夫です。

 実は、私、幼い頃からあの雷鳴が、とても好きなだけなのです。」


「そうでしたか。」


今にも幻と消えそうなうっすらとした笑みを浮かべたハヤテは、正面に向き直って景色に視線を戻した。

私もハヤテから視線を離して眼前の景色を眺めたが、ときおり視界のすみっこで、

ハヤテが咳をする度に口元にあてられる神経質そうな手が見えた。


ハヤテは私を子供扱いはしなかったし、私もそうされるのを望まなかった。

だけれど、私は、時折その彼の白い手が私の頭を撫でるのはとてもすきだった。

彼の手は、私にとってなによりも特別だったのかもしれない。


「ハヤテさん、私、そろそろ帰ろうと思うんですが、」


「でも雨はまだ降っていますよ、何度云っても貴方は聞いてくれませんけど、

 風邪をひいてしまいますよ。」


「雨に濡れるのは好きだと、云ったぢゃないですか。」


私がからりからりと笑ってそう云うと、ハヤテは少し眉を顰め、呆れたように少し息を吐いた。


「何時迄待ってもきっと明日迄雨は止まないでしょうね。

 そんな季節です。

 もしも帰り道、傘を売る店の前を通ったら、傘をさしてかえるつもりですから。」


桜雨の降る樹の下から出ていこうとする私の腕を掴んだまま離そうとしないハヤテに、

苦笑しながら云い聞かせるように云った。


ハヤテが、とても困ったような、悲しそうにも見える表情をして、

やさしく腕を掴んだままの手とは反対の手で私の頬を撫でた。


「私、ハヤテさんがいなくなっても、泣いてなんかあげませんよ。」


そういう私の声は、酷く震えていた。

何故かとても、とても胸が痛かった。

ハヤテが何かちがうけしきを私に重ねている気がして、酷く胸が痛かった。


頬を撫でる冷たい指は、濡れた花の馨りがした。

















Fin.




あめにちる花

情景

(03.3.30)


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