命を踏み付けたからだが悲しくなる


汚さすら曝け出したくて


血まみれのままで会いにゆくよ











真夜中の絶対温度











この夜、わたしはやっぱり辛い夜だと感じていた。


さっきまでキリキリと鋭利な音がしそうな程張り詰めた、精神の細い糸を緩めた瞬間、

私が押し込めて無理に忘れていた思いに背中を押され、足下の血だまりに思わず跪いてしまった。

闇の中の出来事だった。

ただわたし1人が生きている、そんな闇の森の中の出来事。


その光景をみても、跪いて手をついても、わたしの表情は変わらなかった。

心も動揺することがもうわからなくて、立ち上がろうとした足は少し震えているみたいだった。


周囲には何でも無い、いつも見てきた惨劇が闇に埋もれながら横たわっている。

わたしがころしたひとたち。否定する余地も無い。

わたしが忍である限り、それは避けられず、避けようと思うこともできず、

繰り返していく日常と非日常の交錯する現実だった。


辛いけれど、受け入れようと思っていた。

胸の奥から響く濁った悲鳴は、もう最近は聞こえなくなったから。

「あの人」に、教えてもらったんだと思っている。

多分受け入れることができる、皆そうやって生きて、死んでくって事も理解できた。


空虚な風が、目の前に黒い髪をまき散らして視界を緩やかに遮った。

やさしい目隠しみたいで、くすぐったくて苛ついた。


理解出来ても、どうしようもない悲しみはあるでしょう。

頭の中で造り上げた言葉が、ふいにわたしを突き刺した。


跪いたままではどうしようもないと思い、私は今度こそゆっくりと足に力を込めて立ち上がった。

黒い手袋をした手と、黒い忍装束を纏った膝が赤く湿り気を帯びて冷たくなった。


手袋を脱ぎ捨てた手で簡単な印を組み上げて、手袋を燃やして証拠は隠滅。

後片付けをするのも仕事の一部で、血だまりから数メートル離れてから、

惨劇の現場だけを術によって舞い上がらせた青白い焔で燃やし尽くした。

そして、証拠は隠滅。


こうして、何もかもの自分の痕跡を消していくうちに自分まで誤って消してしまいそうだなぁ、

なんて誰かに聞かれたら笑われそうな事を思った。

自分が心の中で思ったことにまで他人の反応を窺う癖。

自嘲気味なわたしは、ひたすらに青白い焔が全てを消し終わるのを待ちながら立ち尽くしていた。

震えの止まった膝は、今度はもうそれ以上動こうともしなかったのだ。











跡形も無くなった灰まみれの土が、木々の撓る枝に掠れかけた月光で確認出来た。

もう、これでわたしがここにいる理由は無くなった。

少し怖くなって、踵を返して全速力で、音も無く、森をすり抜けてわたしが帰る場所へ向かっていった。


1人の任務は嫌いだった。

どこまで行っても誰もいない世界に放り出されたみたいで、どんどん表情や感情が退化していく。

血のこびりついた髪の一筋を拭くことも忘れて、ただあの人のいる里へ帰っていくのだ。

きっと、わたし以外に、人間がいることを確かめたくて。


無心に駆け出していた足がゆっくりと地面を踏みしめだして、

耳に流れ込んでくる、夜も眠らぬ街の喧噪を、噛み締めるように目を閉じて聞き入っている。

帰ってきた場所が全面的にわたしを受け入れてくれる訳では無いけれど、

ここにいることが当たり前だと言うわたしの感情は今の「わたし」を受け入れた。


いくら忍の隠れ里とはいえ、血まみれのまま街を堂々と歩く訳にも行かず、

生きている喧騒が聞こえるようにしながら、闇に身を隠して報告に向かった。

真夜中でも、恐らくは受付を任された誰かが膨大な報告書に埋もれて次の報告を待っていることだろう。


辿り着いた木造の建物の、古びた扉をノックもせずに開ける。

闇に慣れた目には眩しすぎる乳白色の電燈の灯が射して、

ぼんやりと薄暗い部屋の隅に視線を逃がした。


「お疲れ様です。」


機械的な労いの言葉が聞こえて、面識のない忍がこちらをちらりと見ている。

どうも、と、こちらも無表情に答えて、簡単な報告書への記入と、提出を済ませる。

極めて事務的で、義務的な作業だったが、わたしは案外こういう淡々とした作業は得意なのだ。


不得意なのは、こんなまったく会ったことも、話したこともない人間と向き合っていることの方だった。

気まずい感じがするので、一刻も早くここを抜け出したかった。


わたしはさっさと提出を済ませて扉の把手を回した。

室内と室外の気温の差は、風のあるなしできまるのだろうか。

急に冷たくなる夜風が、頬を緩く引っ掻いて笑いながら走り抜ける。


すると、わたしは無性に「あの人」に、ハヤテに会いたくなってきた。

正確に言うと、確かめたくなったのだ。

いつもハヤテに会いに行く時は、任務など無かったかのように、血を浴びた姿をひた隠しにしてきた。

この様を見て、ハヤテは、何を思うだろう。何を言うだろう。


もし受け入れられなければ、わたしはその場で自害しようと思う。

同情をひこうとしているみたいで嫌だが、この際構っていられない。

それほど今のわたしは、追いつめられている。むしろ尋常じゃないかもしれない。


誰もわたしの忍としての仕事が、当たり前だと受け止めているから人殺しを否定等しない。

しかし、それは受け入れている訳では無い。無関心なのだ。

仕事をこなすのは当たり前だから、何も言わないだけで、何も変わらないだけで。

それでもハヤテにだけは全てを受け入れてもらいたい。


惰性で付き合っている訳では無く、わたしは生死をかけたレンアイをしている。


一方的ではあるかもしれないけれど、命がけで彼を追いかけている。

彼の影が遮断されれば、わたしは多分追いかけることが出来なくなって、やがて生きることを止める。

それだけの事だ。それだけ。










気がつけばわたしはもうとっくにハヤテの家の前にいて、手はその家の冷ややかな土壁に触れる寸前だった。

灯もついていない、しん、と静まり返った静寂の家。

やけに広く大きな彼の家は、いつも途方も無く静かだった。


引き戸を見つめたまま、わたしは硬直している。

まだ迷っている。

ハヤテが家にいるかどうかも分からない癖におびえる指が、それ以上動くのを拒絶している。


多分、怖いのかも知れない。

自害するような結果ではなく、結果を招く「ソレ」らが。


それでも、わたしは確かめなくてはならなくて、強迫観念にも似た自分への強制で、

わたしは壊れかけた呼び鈴に青ざめた人さし指で触れてみる。

手は、血で汚れていない。

わたしの代わりに血を浴びた黒い手袋はあの時に燃やし尽くしたから。


静寂を引き裂いた呼び鈴の音は、わたしの罪悪感をかき鳴らすのと同じで、

こんな夜中に、自分勝手に、ハヤテの眠りを途絶えさせてしまうことをすまなく思った。





開いた扉から現われたハヤテは、泣きたくなるくらい優い笑みで。





さん。どうしたんですか・・・?」


幼い子供を扱うように、玄関扉の前に立ち尽くすわたしにゆっくりと近付いてくる。

ひんやりとした空気がわたしとハヤテの間に流れて、涙を誘う。

わたしが泣くわけもないけれど。


もう固まって、頬の皮膚を引き攣らせるばかりの返り血の痕を隠しもしないで、俯いていた顔を上げた。

ハヤテは心配そうにわたしを見ているばかり。

わたしはたまらなくなって、いたたまれなくて、口を開く。


「寝てたでしょう?ごめんなさい。」


「いいえ、眠れなくて途方にくれていた所ですよ。

 任務帰りですか?とにかく、中に・・・・・」


言いかけたハヤテの言葉を私は死ぬ思いで遮った。

頭の中は謝罪の言葉でいっぱいだった。


「わたしはっ・・・・。」


とにかく声を出さなければいけないような気がして、絞り出したのはいいけれど、

ハヤテの顔見ていると、もう何を言えばいいのかわからなくて、結局押し黙って俯いた。

言葉が出て来ない。

こんなに話せない事が悔しいと思ったのは、無口な方であるわたしにとっては、初めてだった。


ハヤテは私の出て来ない言葉を待たないで、私の傍に来て、血にも構わず私の頬に手を触れようとした。

跳ね上がるように、わたしは思わずその手から逃れようとしたけれど、

逃げ切れなくて、細くて暖かい手は結局私に触れてしまい、

心臓が握りつぶされそうな程込み上げる何かが、わたしの呼吸をきつく締め上げる。


「何があったのかは知りませんが、こんな所にずっといても風邪をひいてしまいますよ。」


咳を一つこぼして、ハヤテはいつのまにか冷たくなっていたわたしの頬から手を離して、背中を少し押した。

もうどうしようもなくなって、導かれるがままに真っ暗な静寂の家に吸い込まれた。


泣かなかったことが、唯一の救い。

あそこで泣いていたら、きっと、もう、本当にわたしは駄目になっていた。

あそこで泣いていたら、ここにはもういられない程おかしくなっていたと思う。


招き入れられた家の、静寂とは裏腹な暖かさに甘えてしまって、

もうわたしは確かめることなんてできなかった。

自害を決心した時のような、あのちりちりと焼け付くようなひどい感情もすっかり鎮火して、

背中に添えられた手だけがわたしをここに、こんな世界に繋ぎ止めている。

それ以上の事を求められない。

恥ずかしいくらい満足しきった血まみれのままのわたしは、ハヤテに寄り添った。


自惚れてしまうと、わたしはハヤテがわたしを拒絶することがないとわかっていた。

そういうことを考慮に入れた上で、甘える為に、繋ぎ止めてもらう為にわざわざ会いに来たのかもしれない。


ハヤテがわたしの欲しいものをすべて与えたりするから、何処にも行けない。

だからわたしは生死をかけたレンアイをしていて、あなたの影をどこまででも追うのだ。







「ハヤテさんがわたしを甘やかすから、わたし、もう二度と離れられないじゃ無いですか・・・。」


半ば八つ当たりに近く、わたしは情けなく震えながら言う。

ハヤテはただ、青白い顔で嬉しそうに微笑むばかりだった。














end.

 


(02.6.16)


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