わたしは独りで歩ける


多分とても易しいことだから


あなたが怖がるわたしの背中を押して


それだけで私は何処までも飛べるのね


短い髪が揺れて


わたしはきっと笑うのね












ラプンツェル












揺れる長い髪が何故だか無性に大好きで、幼い頃から髪だけには特に気を使っていた。

色を人工的に変えていない、真っ黒で、真直ぐな、髪だけは気に入っていた。

それ以外、私はなにも私を認められなくて随分自分を自分で傷つけてきた。


汚いものを見てきた目も、人をころしてきた手も、屍の上を歩いてきた足も、

綺麗な振りをするずる賢い肌も、とても認められるようなものではなかった。


私の一部だけど、私では無い髪だけは、何故か許せるような気がしていた。

時々、ふわりと揺れる長い髪が憎らしく思う事もあったけれど、切るなんてとても出来ない。

たとえどんなに皮膚が裂けても、髪が切れる事の方が少し怖いと思ってた。


同じ年の女の子達が、訓練とかで動きにくいからと髪を短くする度に、

私は二つの三つ編みに触れて、遠くを眺めた。

私には出来ない事。

もう今となっては切りたく無いんじゃなくて、切る事なんてできなくなってた。

なくしてしまうのが怖くて、変わってしまうのを恐れていたのだ。


友達に、綺麗な髪だね、長い髪がとてもよく似合うね、

と言われて、とても嬉しかったけれど、すこし心が痛んだ。

気付かないくらいの痛みだったから、何度同じ事を言われてもちっとも気にしていなかった。


だんだん強くなっていく痛みも、慣れてしまうと何も感じない。

それは、何かに似た感覚だった。








私を愛してくれた人が、今、私の隣で静かに本を読んでいる。

もちろん私も愛しているから、彼を愛する人は私。


明るいのに不透明な、灰色に曇った空から鈍い光が窓を射した。

今日の天気は曇りで、私は晴れた空よりもこういう天気の日が好きだった。

私達は、忍で、今日は任務が無い日で、道具から人間に戻れる、

ほんの僅かな時間だと言う事を忘れさせてくれるからだ。


さん、どうかしましたか?」


どうやら私は相当難しい顔をしていたらしい。

本から顔をあげたハヤテが私を見て言った。

でも私は本当に何でもないから、まるでゼンマイ仕掛けの人形みたいに首を振った。


「何でも無い。

 それより、楽しい?疲れてるんなら無理しないで家で寝てなよ。

 あんまり寝てないんでしょう。・・・クマが出来てる・・・。」


最後の皮肉はつい笑ってしまって上手く言えなかった。

ハヤテは、このクマはもともとです、と言って堪えきれず涙目で笑う私を見て、

同じように可笑しそうに笑っていた。


「そりゃあ疲れてはいますけどね。

だからこそ、折角の休日ですし、久し振りにあなたといたいというのは当然でしょう。」


読みかけの本に真っ白な栞を挟んで、本をぱたりと音がするように閉じた。

あっさりと、普通の人ならば恥ずかしくて言わないような事を何事も無いように言うのは、

ハヤテの癖みたいなもので、そういう無感動な音で造られた言葉が不思議に嬉しく聞こえる。

私も似たような人間ではあるのだけれど。

本当の事等、自分の思いを伝えてもいいのならどんな事でもハヤテに言えるのだろう。


「そう言ってもらえると嬉しいよ。」


自分ができる限りの嬉しそうな笑顔を造って、ハヤテにそれを向けた。

ハヤテも、少し微笑んで、また本を開いて文字を一つ一つ辿っていた。


私は退屈では無いけれど、何もすることがないので、

二つの三つ編みにした長い髪をほどいて、もう一度髪を編み始めた。

手に触れる髪の感触は柔らかくて、私は少し安心した。


ゆっくりと、手から髪がこぼれないように注意深く編む。

指をすり抜ける髪は今にも絡み付いて私の指を千切りそうだと思う。

でも、実際はそうなる前に緩くしなってぱらりと重力に逆らう事なくしなだれる。

そしてまたその髪の筋を掬い上げて編む。

たったそれだけの繰り返しを、非常に時間をかけて行う。


隣に座るハヤテは、ただ文字を追いかけている。

私達はとてもちぐはぐな行動をしていて、一緒にいる意味すらなくなってしまいそうだ。

でも、それでもこうして同じ場所で同じ時間を過ごす事を、

私も、ハヤテも、やめようだなんて決して言わない。


それは当然の事ながら、私を愛してくれた人がハヤテで、ハヤテを愛した人が私だからだ。

何故愛しているのか、理由等最初から無いが、でも途方も無く大切な人だと言う事は2度と忘れない。

私が死んでも、私が忘れていないという事実はハヤテがちゃんと持っている。

確かでは無いけど、そう信じてもいいんじゃないかと思った。


「髪」


本当に一言だけ、ハヤテがそう言った。

本に目を落としたまま、いつもの無表情で。

私はと言えば、上手く呼吸が行えなくなる程酷くその単語に動揺していた、驚いた。

突然砂に埋もれてしまったような圧迫感と閉鎖感が目の前に広がる。

あんまりにも驚いた為、ちょうど編む事を終えた2本目の三つ編みをそっと握る。

そんな私の動揺をまるで見なかった振りをするみたいにハヤテが本を見たまま言葉の続きを言う。


さんはとても大事に為さっているのですね。」


正直、悲しかった。

多分彼は私の唯一の自慢である長い髪を褒めたのだろう。


いつも友達がことあるごとに言ってくれた言葉と同じような意味。

とても大切で、愛している人に言われたその言葉がこんなに悲しくなるなんて思いもよらなかった。

そう言えば、彼が私の髪について何かを言うのは、初めてだったかも知れない。


だから安心出来たのかも知れなかった。

自慢の髪なのに、そのことを言われるのを私は何故恐れていたと言うのだろう。

短い髪を恐れていたはずなのに、髪を切る事が私にとってどんな意味を持つ事か、

わかっていたつもりだったはずだけど。


早鐘の心臓は今にも破裂して私を殺してしまいそうだった。

強く握りしめるから、綺麗に編み上げた髪の毛が、少し乱れた。

せっかく長い長い時間をかけて編んだ髪が。

少し勿体無かったけど、でも、どうしようもなくびっくりしてしまって、そんな事気にしていられない。


「そ、そうかな。」


声は何とか裏返らなかった。

でも、いつもの私の少し低めの声よりも高くなってしまった気がした。

きっと変に思っているだろう。

とても、とても強い人だから、ハヤテは。


ハヤテは忍としてとても優秀で、変化や気配にとてもよく気が付く。

だから、きっと私が動揺している事もすぐにわかってしまっただろう。


もちろん私も忍だから、そんな変化は隠せなくては仕事にならない。

だから任務の時だけは私は「強い人」になり切ってみせる。

それでもハヤテよりは私は強くなくて、こういう時、私はまるで卵みたいに、

少しの衝撃で殻が壊れてしまって、溢れ出てくる、とても弱い自分を隠せ切れなくなってしまう。


私がそんな心の動揺を気付かれるのを嫌がると思って、敢えて何も言わないような、優しい人なのだ。

ハヤテは、痛い程、優しい人だった。


「ハヤテさん。」


何とかうろたえる心を捩じ伏せて、震えないように細心の注意を払ってハヤテの名を呼んだ。


私達の関係は、そんな弱さも見せあっていいような関係であるはずだけど、

私はとても強がりで、彼が好きだからこそ弱い自分を見せたく無いと思うような人間だった。


嫌なおんなだと、何度も真夜中に目が醒めた時、自分を責める言葉を繰り返したのに、

どうしてもそんな強がりを矯正できなくて、結局はハヤテの大人な態度に甘えてしまう。


実年齢の上でも、精神年齢の上でも、やっぱりハヤテにはどうしてもかなわなくて悔しいとさえ思った。

対抗しなくてもいいのに、子供っぽく張り合おうとする無駄な自尊心を、

掴みとって投げ付けて葬り去りたいのに。


「どうしてだろう、嬉しく、ないのよ。」


脈絡がないと言えば、あまりにもそうだろう。

繋がっているようで繋がらない私の言葉を受けて、ハヤテは困ったように笑った気がした。

また私は大好きで大事な彼を困らせてしまった。

でも、次にハヤテが言った声は、何も困ったような意味合いが含まれていなかった事にとても驚いた。


「怖いでしょうけれど、一度手放してしまうのもいいかもしれませんよ。」


子供をあやすような声音にも聞こえるけれど、そう言ったハヤテの顔はとても穏やかに優しかった。

胸の奥で、誰かが扉を精一杯に叩くような衝撃が繰り返し、繰り返し鳴り止まない。

痛いばっかりじゃなくて、悲しくて、変にうきうきするような不規則なノック。


優しい笑顔のままで、ハヤテは、大きいけれど繊細な手で頭をそっと撫でてくれた。

私はその手がとても好きだった。

ハヤテはそう言った私に向かって、この手は汚れているのだと少し寂しそうに言ったけれど、

私は彼の手程「きれい」な手はきっとないと信じ込んでいる。


頭の上の手が少しずつすべりおりてきて、私の強張っていた頬に触れた。

少し冷たい手だった。


「手放しても、大丈夫だよね。」


今まで絶対に髪を切ろうとは思わなかった。切れなかった。

なのに、私は自分でも驚くような事を自然に言ってしまった。

手放しても、私は変わらずに生きていけるのか。そんな自身なんてとても持てはしない。


さん、あなたはあなたが思っている以上に強いひとですよ。」


ハヤテは、大丈夫だと、はっきりとは言わなかったけれど、泣きたくなる程優しすぎる言葉をくれた。

そうして、私の頬から手を離し、もう一度薄く微笑んで、また何事もなかったかのように本を読み始めた。

私も、何もなかったように何喰わぬ顔で三つ編みをもう一度ほどいて、編み始めた。

先程と同じように繰り返している行動なのに、それでも、今はちっとも同じではない気がする。







手首から脈打つ音が聞こえてきそうな程静かな部屋。

その中で、三つ編みを編み終えたばかりの私はゆっくり立ち上がって、

無造作に置かれていたハサミを握りしめた。

覚悟を決めたみたいな自分の行動が、私自身をも驚かせたけど、怖くはなかった。

痛くもなかった。

花が風に揺れるような穏やかな気分だった。

そんな私の事をとてもよくわかってくれているハヤテも、やっぱり優しい顔をしていた気がする。


目を瞑り



息を吐き



三つ編みを施したばかりの髪を握りしめ



右手にもったハサミを構え



黒いロォプのような髪を、私はそっと切り落とした。


床に横たわる私の、いや、もう完全に私から一人歩きをして物になった髪。

涼しすぎるくらいとても短くなった私の髪は、春の風にそよいでいるみたいに軽くて、

今までよりももう少しだけ上手く造れるようになった私の「とびきりの笑顔」で、

(少しだけ訳もなく涙がでていたけれど、)ハヤテに笑いかけてみた。


私は、私にあるものだけで自分を支えて歩いていける。

自分の一部だけど一部じゃないものに、もう、きっと甘えなくてもよくなったのだ。




そしてまた、本当に涙が出る程嬉しかったのは、


ハヤテも今までで、一番優しい顔をしていたことだった。













fin.


あなたには

救われてばかり

(02.5.11)













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