無垢の断罪














少女なのか少年なのかよくわからないが、中性的な顔立ちは、私にはしなやかな獣を思わせた。

獣は美しい。

時に母のように慈愛に満ち、時に鬼のように無情になる。


何の匂いもしないあやふやな存在感を持つこのひとは、きっと「獣」なのだろう、と、

私は勝手な事を思いながら、少し遠くの方で屈み込んでいるそのひとに、声を掛けた。


「あの、すみません。」


私は浮遊感に唆され身体の現実味を失いそうになりながら呆然と立ち尽くしていた。

10m程の距離を隔てた、林に囲まれた草地の向こうに、そのひとはいた。

自分の小さな声はきっと彼の人には聞こえないだろうとは思いながら声を掛けたのだが、

意外にもすぐにそのひとは私の方を向き、穏やかな顔をして軽く首を傾げた。


その仕草を見て、私は逆にそのひとが恐ろしく感じられて、背筋を小さな震えが走る。

普通、人は私の姿を見たならば、驚きや警戒を示すものだと思うからだった。

正しくは、私の左手に握られたぎらつく血塗れの刀を見て。


声を掛けてそのまま、其れ以上何も云わずに呆然とそのひとを無感情に見つめ続けた。

私は彼の人に何から問うべきかを、ゆるりと考えていた。


そうしていると、そのひとはゆっくりと立ち上がり、

傍らに置いていた籐編みの籠を手に下げて、私の方へ緩やかに歩いてきた。


無駄がなくて、でも穏やかな、至極美しい歩みだった。

まだあどけなさを残した中性的な容姿に似合う。

そのうつくしい一挙一動をぼんやりと眺めている内に、

そのひとは私の三歩手前で立ち止まる。


「僕に、何か御用ですか。」


にこりとしながら云うので、私は当たり前すぎた違和感に少し目を瞬かせるだけだった。

僕、と、そう云ったので、きっと少年なのだろうと、それだけは確かに思った。

じっと彼の玻璃玉のような眼を見つめ続ける私に、彼は少し困惑して苦笑いをする。


「誰か、怪我をしたのですか。」


No.

私は首を横に振る。


「貴方は、貴方一人ですか。」


Yes.

私は頷く。


「何処から来たのですか。」


首をただ横に振った。


「・・・・貴方は、僕の敵ですか。」


少し迷って、しかし、確かに首を横に振って否定の意を示した。

すると、彼は少し淡く微笑んだ。


「あ、まず最初にお聞きするべきでしたね、

 貴方の、名前はなんと云うのですか。」


、と。

 ・・・貴方のお名前を聞いてもいいですか。」


「えぇ、僕ですか、僕の名前は白と云います。」


白と名乗った少年は、綺麗に微笑んだ。

美しい容姿は、少女にも少年にも見えるが、間近で改めて彼を見ると、

少女にも少年にも見えなかった。

彼は笑顔以外の何ものをも用いず、私の眼前にその存在を展開する。

こんなに奇妙な存在を、私は初めて眼にした。


私が、白が両手で持っている籐籠に意識を注ぎ、籠の中身を見ていると、

彼は眼を伏せて自分の手にぶら下がる籠を見下ろして、あぁ、と声を零した。


「これは、薬草なんです。

 一口に薬草と云っても、色々ありますが、

 例えば、傷に効くものや、毒に効くものや、痛み止めなどですね。

 今さっき摘んでいたこれは、傷に効くものなのですよ。」


白はそう教えてくれた。

薬草などにあまり詳しくも興味も無い私にとって、それはただの野草にしか見えないのだが、

詳しい彼にとっては大いに違うらしいことだけは理解できた。

私は曖昧に相槌を打って、問う。


「誰か、怪我でもなさったのですか。」


「・・・そうですね。」


少年はただただ微笑している。どうやら、此の質問には答えるつもりは無いらしい。

(つまりは私が知る必要も無い事なのだろうと私は解釈している。)


「その、」


白は少し云いにくそうに困惑の笑みを浮かべながら、ほっそりとした白い指で、

私の左手に握り込まれて同化してしまっているかのような血に汚れた刀を指差した。


さんとおっしゃいましたね、刀は、貴方のものなのですか。」


云われて、ようやく私は、血と人の脂に塗れて切れ味を失った刀を、

指が痺れる程に強く握りしめていた事を思い出した。

本当に手の平と同化してしまったようにすっかり刀から意識を離してしまっていた。

それというのも、白というこの少年の絶えぬ微笑に気をとられ過ぎていた。


刀を持ち上げて自分の顔の前で握りしめていた左手開くと、

柄の方迄、粘着質な生温い赤の液体が染めていて、手の平はひどく染まっていた。

液体の温度とは裏腹に、左手はしんしんと骨迄冷えて、きりきり痛い。


厭なべたりとした音を立てて手の平に吸い付いていた刀の柄が離れて、

柔らかい草の上にとさりと落ち、衝撃音は柔らかさに飲み込まれて消えた。


「・・・・これは、私のものなんかではありません。」


刀だって血液だって何一つ、これは私のものなんかでは無い。

断じて、違う。

何がそうさせるのか、私は自分の胸の内へ向けて、何度も否定の言葉を強く吐いた。


鈍く艶を失った刀身のいやらしい生々しさも、

左手の手の平に絡み付く粘質を帯びた見知らぬひとの血液も、

どれもこれも私にどっと嫌悪を込み上げさせた。

鼻を突くのはあまりにしらじらしい死の匂いだった。


白は、顔を顰めてあからさまに嫌悪の意を示す私をじっと真面目な顔で見つめていた。

そうして、何も云わず、(云う言葉が見つからなかったのかもしれない)

懐からまっしろい布を取り出した。


呆然とそのゆるやかできれいな動作を見ていた。

そうする内にも、白は私の前に屈み込むと、私の汚れた左手をとる。

先程取り出されたなよよかな布で左手に絡み付く血を拭うのに、されるがままになっていた。


はっと、我に返り、私は弾いたように、左手を柔らかく掴む彼の手を思わず振り解いた。

白は、少しだけ眼を瞬かせた。


「貴方の手が、貴方の布が、いえ、貴方が、汚れてしまうわ、」


私は彼を、美しく微笑する少年でも少女でもない貴き獣のように感じていた。

純粋で、怖れて然るべきいきものだと勝手に思い込んでいた。

きっと、この「獣」を、この何者の血かも得体の知れぬ汚れなどに浸してはならない。


しかしながら厳密に云えば、彼が穢れる事を畏れるよりもまず、

彼を穢す事に対して科せられる私の罪を怖れていた。


「大丈夫ですよ、汚れれば、漱げばいいのですから。」


無垢な子供の笑みで彼は笑い、強張った私の左手をもう一度手にとった。

途方も無く何故か胸が痛んで、手の平や指を布で拭うその様子を直視できず、

訳も分からぬ後ろめたさと罪悪の業に首を絞められた。


何故こうも、出会ったばかりで彼のことなど私はよくよく知りもしないのに、

彼の存在は私を闇に押し込めるのだろう。

月も星も見えない夜に泣いて詫びる、懺悔と告解のような気分だ。

たとえきよらかな水をもって漱いでも、私の胸に在り続ける澱みは滔々と濁り続けるのに。


「もう、もういいです、もう、大丈夫です。

 ありがとう、ごめんなさい、えぇ、もういいんです。」


泣きそうになりながら、私は私の汚れを優しく拭う彼の白い手を止めさせた。

赤の色素はしっかりと染み付いたままの左手がようやく離され、

暖かさを思い出しはじめた左手の指を、私は胸に抱いた。


着物が汚れようと構いやしない。

黒い着物はすべての色を飲み込んで覆い隠してくれるから。


そして、でも、汚れてしまった彼の細い白い手となよよかな白い布、

それらがあんまりにも切ないでは無いか。

白は、すべての色を飲み込んで、自身を浄化する術も知らずに。


「・・・・白さん、貴方は、"きれい"なのだから、私、貴方を汚したく無いんです。」


白は少し押し黙って何かを考える素振りをしながら、屈み込んだまま私を見上げた。

濡れた玻璃のような眼が、苦しさを押し殺した私をまじまじと見つめていた。

私は彼の眼に反射した自らの姿なんて見たく無いから、少しだけ、眼を逸らした。


ふっと白が破顔した。


「僕は、唯一の、守りたいものがあり、守らねばならないものがあります。

 それを守る為なら、どれほどの汚れも厭いません。

 それを守る為なら、僕は鬼にでも聖人にでもなってみせます。

 それだけが、きっと僕にとって唯一此の世で"うつくしい"のですから。」



私は、ただ黙って数秒彼の顔をみつめた後、徐に彼に背を向けてその場を去った。



一度だけ振り返ると、もう随分と遠くに白がいて、彼は立ち尽くしながら、

ただじっと私の去る後ろ姿を見送っていた。

それでも、彼は白く、そして、彼の白さは全ての色を飲み込んで浄化した。


遠くにいる彼がもう見ていられなくなって、今度は決して振り返らず、小走りで走り去った。

左手の汚れが焼け付くようにイタイ。

足場に構わずに走り急ぐ足は草葉に掻き切られて熱を増していく。

喉を締め付けるような息苦しさがひゅうひゅうと唇から洩れていた。


痛い程の無垢が、私の網膜を焼いて、

私はあまりの眩しさに、死んでしまいたいと思っていた。
















Fin.




贖罪の方法はみつからない。

貴方は強く、私は脆弱で、

そして私は穢れている。

(03.7.24)


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