爪月はそうして笑う 














のその顔をふと見た瞬間、俺はどうしようもなく絶望的な既視感に捕らわれた。

有り得ない。

咄嗟に浮かんだ言葉はソレだった。


「何よ、シリウス。」


は不思議そうに云いながら、俺に対して少し身構えながら向き直った。

それも当然だ、不自然な程に凝視されれば誰だって気味が悪いだろう。(というか俺だってヤだ。)


「あのさ、何か気持ち悪いんだけど・・・」


「失敬だなオイ、人に向かって気持ち悪いとか云うか、普通。」


「私は云う。」


「・・・・・(このアマ・・・)」


シリウスさ、何か誤魔化してる時の顔してるよね、と、そんな事を云いながら、

はだらしなく羽織ったローブの内ポケットから、色の悪い棒付キャンディを取り出して包み紙を剥がした。

如何にも身体に悪いですよ、と宣言しているかのような鮮やかな着色料に塗れたキャンディだったが、

それは、珍しいことに彼女のお気に入りのお菓子だった。


珍しい、と云うのは、そんな砂糖と香料の味しかしないような不味いキャンディを好むと云う意味もあるが、

何より、彼女は特に食べ物にも何にも特に好き嫌いが無く、何かを特別気に入る事が滅多になかったせいだ。


彼女の舌を染め上げる人工着色料が、何時か彼女の味覚をも麻痺させてしまうんだろうと思う。


別に何も誤魔化してないとか何とか云ったような気がするが、その言葉自体誤魔化しなのであるからして、

図星を指されて焦りを憶えた俺は、あまり自分の発した言葉を憶えていない。








とは数カ月前から成り行きで(付き合うような、付き合わないような)ともかくはまぁ一応付き合っていた。

しかし何しろどちらかがどちらかを好きになった訳でも無くて、お互い共通点があった訳でも無い。

ましてや付き合う前には話をした事さえなかったのではないだろうか。


何故こういうふうになったのか、俺自身いまいちよくわからない。

彼女に何気なく尋ねてみても、結局は曖昧なまま会話が途切れてそのままになってしまった。

けれど、俺達はちゃんとコイビトやって、付き合ったりしている。

実に不可思議だが、さらに不可思議なことには、それで俺達の関係はちゃんと成り立っていたのだ。


ずるずると曖昧を引き摺ったまま、こうして誰もいなくなった深夜の談話室にいる。

逢瀬の為にと約束をした訳では無かったが、何故かばったりと会ってしまったので、

部屋に戻るに戻れないと云った方が正しいのかも知れなかった。

彼女の性格からして、今自分が部屋に戻ったからと云って彼女が何事かを気に病む訳でも無いのに。


暖炉の火も消えて、灯は鈍い真鍮色した燭台に灯された数本の蝋燭のみ。

窓には、星さえない。

猫のそれような細い爪月は、夜雲の暗幕の向こうで非情に笑う。

暗闇に少々慣れた眼で、ぼやけて夜に滲む互いの輪郭を認識しながら、

俺は談話室の窓際に設置されたありきたりなソファに座り、彼女はその近くに立っていた。


ふいに、俺にやや背を向けて窓を睨んでいたがこちらを振り向いた姿をみた俺は、ハッとしたのだ。


既視感の正体はすぐにわかった。

しかし、何故そんな既視感に襲われたのか、頭を抱えるばかりだったのだ。








「私が誰かに似でもしてた?」


考え込むように薄墨の闇にぬるんで押し黙った俺に、は的確に俺の思考を指摘した。

心なしか温もりの少ない突き放したような声質だったが、それは彼女のいつものトーン。


「別に、」


「・・・・。」


「・・・・。」


「だーっもう、わかったよ!」


「な、何がよ・・・。いきなりキレるのやめてよね。」


こういう種類の沈黙がとても苦手で、たまらずにギヴアップを宣言した。

白状、は、あまりしたくない既視感の正体ではあったが、聡い彼女に、

別に、と云う酷くありきたりな攪乱の言葉一つでは到底、誤魔化し通すことができそうもなかった。


「何でも無いことだよ、ただ、その、・・・・・・・お前が、一瞬、ずっと前付き合ってた女に見えた、」


「前に付き合ってた彼女か。

 あら、そりゃあまぁ、失敬だこと。」


「お、怒るなよな、別に今は・・・・」


「怒って無いってばさ。見かけによらず実は純情なんだろ、君ってば。知ってる知ってる。」


誰が、見かけによらず純情、だ。(褒めているのか貶しているのか。嗚呼、面白がっているのか。)

しかし、彼女は本当に怒っていないようだったので、内心安堵の溜め息をついたというのは正直な所だった。

彼女は怒る時、もっとあからさまに顔を顰めるような奴だった。

は何処かしら掴み所のないきらいがあったが、感情表現においてはひととおり素直なのである。


「ねぇ、教えてよ。」


「は?」


「ズットマエノカノジョってどんなコ?

 名前とかどうでもいいからさ、どんな形が好きなのかとか、どんな音が好きなのかとかさ。」


形や音の好みを気にする奴はそう多くはないだろうに、彼女はそんなこともお構い無しで、

楽しそうに、けれど落ち着いて俺に尋ねてきた。

そんな彼女を見ていても、俺はますます不思議さが募る一方で、よっぽど首を傾げたいくらいだ。


俺は「ずっと前の恋人」がに似ていると思ったが、今改めて見ているとまったく微塵も似ていやしない。

と付き合うことになった理由はわからないのだが、それでも「ずっと前の恋人」に似ていたからだとか、

そんな下らない不躾な理由で、というわけでもないというのに。


つい本音が出て、そんなことをボソリと呟くと、彼女は意味ありげに薄くわらった。


「で、どんなコよ、」


「どんなって、とにかくお前とは全然違うやつだよ。」


「あはは、そーだねぇ、どんなコか、当ててみせようか?」


「はん、できるもんならな。」


「云うねぇ。じゃ、遠慮なく。

 えとね、優しくって−、かわいいものが好きでー、頭も悪くなくって、でも良くもなくてー、」


は、彼女の想像しているらしい「ずっと前の恋人」の特徴を言葉によって順に具現化していく。

そして、俺が心底驚いた事には、その彼女の推測がちっとも外れていないということだ。


の挙げて行く特徴の通りで、本当はは「ずっと前の恋人」を知っているのではないかと思った。

けれど、彼女に聞いても知らないと云う。

そう云う彼女の眼はとても本気だったから、本当に彼女は知らないのだろう。


「んで、初恋だったんでしょ。でなけりゃ初めての恋人だ。」


「・・・・。」


「はは、少年よ、図星だね。」


「う、うっせー。(無意味に悔しい・・・!)」


「シリウスとこうして話とかするようになったのつい最近だけど、君の好みとか性格、わかりやすいね。」


小さくなりはじめたキャンディの棒を振り回して弧を描きながら、どさりと俺の向い側のソファに座った。

しかし、視線は合わない。

は礼儀的にはきちんと人の眼を見て話したりはするが、

あんまり眼をじっと凝視しながら話すのは、実はあまり好きではないらしい。)


「・・・・あいつは、小さいやつだった。」


「・・・うん。」


「そんで、めちゃくちゃかわいかった。」


「・・・うん。」


「すげー好きだったけど、」


「・・・うん。」


「何かよくわからんうちに別れた。」


「・・・うん。」


「お前とは性格も違うし、髪の色も眼の色も爪の形も癖も、全部違う。」


「・・・うん。」


自分でも何故こんな事をに云って聞かせているのかもわからないのだが、溢れる言葉が止まらなくて、

に、今付き合っているに、こんな事を云うべきでもなければ云うつもりもなかったのに、

それでもどうして止まらなかった。


「い、云っとくけどな、今はもう好きとかじゃないからな。」


「・・・うん。」


「今は、・・・その、お前と付き合ってるし。」


「・・・うん、そだね。」


そう云って眼を細めてしみじみと頷いたを薄闇越しに見て、俺はが好きなんだと、今更そんな自覚をした。

付き合ったのだって成り行きで、別に特に恋愛感情が絡みやしない関係だと思い込んでいたが、

本当はきっと俺は彼女が好きで、だから今何かの縁があってこうやって付き合っているんだろう。

目新しくもない使い古した新発見をしてみると、背中の奥が少しじんわりと温かかった。


「・・・嫉妬とか、してるか?」


「いや全然。」


「可愛くねぇ女だな、」


「冗っ談!嫉妬する女の方がもっと可愛くないのさ。」


何で似ているとか、思ったのだろう。

かつての恋人だったあの少女、どう考えたってどう見たってまるで似ても似つかない。


「私とは似ても似つかないって云う、そのシリウスのずっと前の彼女と、私なんかをさ、」


まるで人の心を読む魔法でも使っているんじゃないかと疑う程のタイミングで、

彼女は俺の思考が辿った言葉の軌跡を埋めながら言葉を続ける。

彼女の言葉は不思議でとても心臓に悪い。


「何で君は似てると思ったんだろうね。」


含み笑いをして、は、きっとシリウスはそのコの面影をずっと探してきたんだろうね、と呟いた。

そんなことはないと言い返そうとした俺の言葉を視線だけで遮ると、もう一度小さくわらった。

何でそんなふうに笑う、きみは。


「でも、もう此処には、私の中には、其れはいくらさがしたってないんだよ。」


わかっている、と、一言云いたかったのだが、先程に一度彼女に言葉を遮られてからというもの、

何かを云う気になれなくて、云う必要もなくて、俺は何も云わず沈黙が降ってくる様を感じるしかない。

今自覚したばかりの感情、、大好きな、愛すべき、けれど其の真意はよくわからない


もし彼女の云うように面影をずっと探し求めて、そうして、彼女に出会ったのなら、

俺はもうそろそろ、彼女の中に残像を探し続けることを放棄してもいい頃だろう。




















Fin.




 

面影なんて

もう忘れていい

(03.3.25)

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