レイニィ
暖炉の火は薪を焼べられる事がなかったせいで、今にも消えそうな赤色と黒色の狭間で揺れていた。
白く灰になり始めた薪の残骸。パチパチとはぜて鳴る音がすでに聞こえない。
雨垂れの音を聞きながらそれに酔いしれて、遊び疲れた子犬のように丸まり、そのへんの床の隅で横たわる私。
シリウスはそんな私の隣で壁に凭れて虚空を見つめながら、綺麗な黒目に反射する光をちろちろまき散らしている。
そのうち、黒目から飛び出した光の粒子がスパァクしだして、私の肌に降り注ぐかも知れない。
「ねぇ、シリウス。」
「あぁ?」
不器用そうな素っ気無い返事が私の耳の奥に染み渡ると、雨垂れの音が少し小さくなって行く気がする。
誰もいなくて、私とシリウスの2つがあるっきりの広い談話室。
大雨が今朝からずっと降り続いているあいにくの天気は、たいていの人を憂鬱な気分にさせているのだが、
私は室内で雨の音を聞いているのは大好きだったし、雨に打たれて濡れてはしゃぐのも好きだった。
だから、私は雨の降る今日という日をそれ程疎ましくは思っていなかった。
「ねぇ、シリウス。雨の匂いがする。」
「雨が降ってるんだから当たり前だろ、。」
「私、雨の匂い、すごく好きなのよ。」
「何だよ、それ。」
ふ、と表情を崩して目を細めてそう言うシリウスを、私は寝転んだまま見上げて、同じように目を細めた。
過剰に声色やら笑顔やらを捏造する必要がないので、自分が自然体でいられる2人きりの空間がとても素敵に思えた。
あまり表情が多くない私は、自分を捏造し過ぎて自然な振る舞いをする事も少し苦手になってきていたのだが、
シリウスはそんな私の逃げ道となってくれて、私は少し彼の気遣いに甘えさせてもらって息をしていた。
偽者じゃない自分を忘れない事が、とても大事だと気付いたのはつい最近の事だ。
冬休みに雪ではなく、雨が降るのは少し珍しいように思う。
いつも窓の外では滔々と雪の結晶が嵩をますばかりだったはずではないだろうか。
ほとんどの生徒が今の時期、冬休みと言う短い休暇に家族達が待つ温かな家に帰って行く。
私にもそれは例外ではないのだが、ホグワ−ツで過ごすクリスマスが好きだった。
しかも、大好きな親友達である、ジェームズやシリウスやリーマス、リリー、ピーターもここに残るという。
一緒に「今年しかこない」今年のクリスマスを祝いたくて、私も彼等と共にホグワ−ツに残ることにした。
クリスマスまでまだあと少し日にちがあるけれど、校庭の隅っこに生えた木々から、城の絨毯敷きの床から、
そんなもの達から滲み出す楽し気な期待と高揚が、どこか足早に私のそばをすり抜けた。
そんな弾む待ち遠しさと、クリスマスの儚い夢のような楽しい時間は、何故か私をしんみりとさせる。
(楽しいイベントって好きだけれど、終わってしまった後が寂しくて嫌なんだわ、きっと。)
そんな結論付けをしながら、目を閉じて投げ出していた足をもそもそと引き、身体を少し丸め直した。
隣のシリウスも、私の真似をしてるのか、偶然なのか、少し身じろぎをした。
ジェームズとリリーは2人でどこかへ行き、リーマスとピーターは図書室に調べものをしに行った。(宿題がとても多いのだ。)
私は、何となく談話室にいたシリウスと、何となく一緒にいて、何となく黙っていた。
シリウスはぼーっとして、窓を叩く雨音を聞いているようで聞いていないような。
私はローブが汚れる事も気にしないで床に横たわり、シリウスの隣で丸まって。
遠いような近いような距離感でも、薄ら寒い部屋の中では互いの体温を感じられるような気がした。
暖炉の火が弱まってきている事は気付いていたけれど、私もシリウスも起き上がって薪を焼べようとは思えない。
この体勢とこの感覚が、今の私達にとっては重要な事なのだ。
動きたくはなかった。
別に薪が燃え尽きて暖炉の火が消えて、寒くてたまらなくなったとしても、今なら別によかった。悔いもない。
雨は段々ひどくなってきている。
ざぁぁぁ、と、音が大きくなり出して、私とシリウスの体温の狭間を十分にゆるやかに満たして行く。
湿気た匂いが鼻先をくすぐった。
雨音は、大きくなったと思うと、また少し小さくなって、私は体温の温かさと、その上外気の寒さで狂った温度感覚のせいで、
自分が何処にいるのかわからなくなって、波打ち際にでも寝ている錯覚を誘ったりもする。
まるで、例えば、そういう音の波というのは、雨の音を発するスピィカァの音量調節のつまみを出鱈目に回してる感じ。
ふいに、シリウスがだらりと垂らしていた手を伸ばしてきて、私の髪を梳く。
その指が気持ちいいだけ。
頬を伝い顔に落ちた髪筋を、少し恐る恐ると言った様子で慎重にシリウスの指が掬い上げて柔らかく撫で付けた。
ちょっと投げやりな感じがしないでもない、優しいけどどちらかというとぶっきらぼうな彼らしさに、
笑おうとはおもわなくとも自然と笑いが込み上げてきそうになる。
「人に、髪の毛触られるのって案外気持ちいい。」
「・・・・そういうもんなのか? まぁ、そりゃあよかったな。」
茶化すようにクスクス笑いながら、シリウスが私の額を指先で少し小突く。
私は別に痛くもなかったけれど、とりあえず痛いよ、と言うと、全然悪びれもしないでシリウスはにやりと不敵に笑った。
その後言った、ゴメン、の声も全然心から悪いと思っているわけでもなかった。
じゃれつくような、突き放して引き寄せるような、奇妙なやり取りをしながら、
ただずっと、雨から音だけで隔離された空間で私達は2人、人形みたいな人間を装って生きていた。
湿気た匂いを運ぶ談話室の緩やかな空気の回流を感じている。
暖炉の火はもうとっくに黒灰色の跡を残しただけで、残り火もなくなってしまっているので、じんわりと冷たくなっていく肌。
頭の上に置かれたままのシリウスの手が重かった。
頭の上に置かれたままのシリウスの手は、けれどもしかし、温かかったのだ。
横たわりながらもはっきりと覚醒した頭に接触している床から、足音のような少し硬質の反響を感じた。
この寮に残っている生徒は私達だけで全部だったので、この談話室に訪れる足音だとすればそれは先生か彼等だ。
微かに響く足音らしき反響だけでは誰だかなんてわからなかったが、恐らく1人だろうことは感じられた。
目だけをシリウスに少し移して彼の表情を見たが、彼はそんな幽かな足音に等気付いていない様子だった。
ゆっくり口を開いて、誰かの足音が聞こえるよ、と私が小さな声で呟いてみたが、彼はそうか、と言っただけだった。
いい加減頭の上に乗るこの手を退かして欲しかった。
しかし、シリウスはそんな私の思惑も戸惑いも躊躇も気付く事はなく、マイペースに私の髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。
「シリウス、髪が絡まる。」
「後で櫛で梳けばいい。」
「面倒・・・・。」
「・・・・・面倒とか、そういうこと言うか、普通。」
「あいにくと私『普通』に甘んじているつもりはないのよ。負けず嫌いだから。」
「意味わかんねぇよ。らしいけど、本当。」
ささやかに私達が笑っていると奇妙に微妙なタイミングで、足音の主が談話室に入ってきた。
私とシリウスは別に誰が入ってきたかなんてどうでもいいと言うようにまだ噛み合わないちぐはぐな会話の続行をしようとした。
しかし、そんな軽やかな無視は同じく軽やかに受け流されて、足音の主、リーマスがにこやかに笑みながら口を開いた。
「やぁ、。シリウス。どうやら僕はお邪魔だったかな。」
「別にー。お構いなく、だよ。私達ただ動くのが億劫なだけだから。」
今この体勢、この手の角度、この脚の向き、この首の圧迫感があまりにもしっくりとくる為、
シリウス同様、私も身動き一つ(リーマスを見ようとも)せずに言った。
空気の微妙な揺れと雨音の途切れたから、リーマスが可笑しそうに笑いながら『そんなことだろうと思ったよ。』と、
小さく呟いたのが聞こえて、私も目を閉じたままふっと笑った。
「時々あるでしょ、ちょうどいい、しっくりくる感覚が。」
「まぁね。でもそれに忠実に動かないなんて君達くらいだと思うけど?」
「ほっとけ。リーマス。 そういやぁ、宿題もう終わったのかよ。ピーターはどうしたんだ。」
「ピーターはまだ宿題の続きをしているよ。僕は教科書を取りに戻ってきただけ。
君達の邪魔はしないから、こちらこそお構いなく。」
言いながら、リーマスの靴音は男子寮へと続く階段を穏やかな足取りで遠ざかり、暫くするとすぐにまた戻ってきた。
じゃあ、また図書室に行ってくるよ、と私達に小さく手を降りながらまた談話室の出口をくぐり抜けて行った。
(その姿を、私はやはり見てはいなかったけれど。)
また雨水のざわめきが満ちてきて、再び騒がしい沈黙に私とシリウスは浸されている。
ずっと降り続いている雫は勢いを増すばかりなのだが、こうも豪雨が長引くときっとホグワーツ湖が濁ってしまうだろう。
私は晴れた日の透き通る湖の水鏡が移す木立と蒼空のコントラストが好きなのだ。
だらりとたゆとう夏のあの湖の畔に呆然と立ち尽くす感じはかなり、イイ。
けだるさと、心地よい狂気すら感じはしないだろうか。
そういえば、今年の夏、シリウスが例の湖の畔にいるのを、私は見た。
何となく水面に写る水中の彼の姿を見てしまうと、陸上の彼の実態に声をかける事を躊躇ってしまっていたのだが、
彼はふと私に気付いてこちらに手を振った。
湖の中の青い彼も同じように手を振ったので、私は何だか少し残念な気がしたものだった。
別に実物の彼が嫌いだとかでは有り得ないのだが、湖面が反射する揺らめくその姿がひどく美しく見えただけのこと。
整った顔が深い青を帯びた儚い残像が手に触れられないのがもどかしくてならない。
そんな話を、直接シリウスに話したりしなかったのだが、湖面を睨んで名残惜しそうにする私を見て、シリウスは笑った。
は本当に変わってる、まぁ、そういうところがお前のいい所なんだけど、と。
相変わらず彼は褒めているのかけなしているのか分からないような戯けた口調だったけれど、
正直、私は「そういうところが彼のいい所」だと思う。
目の前にシリウスがいて、無性に、少し、嬉しかった。
「雨やまないよなぁ・・・。」
記憶の中を彷徨い歩いていた私は、ふいに毀れたシリウスの呟きに我に返った。
考え事をしたりすると、どうも周りに気がいかなくなる癖。
そんな風だからよく人に変わっていると言われるのだろうか?
(いつだって一番不可解な生き物とは、常に自分だ、きっと。)
「一生やまなかったら、それはそれで楽しくない?」
「何で。は雨が好きかも知れないけど、俺はあんまり、だな。
どんより湿気てると、どうも調子が悪くなるんだ。」
少しニガい表情で顔を顰めてみせながら、言葉通りだるそうに首を項垂れる。
さらりと音がしそうな程に顔を被うまっすぐな黒髪に、少しぎくりとする。
普通はこういう事を思うのは逆だと思うのだが、でも、シリウスは確かに「きれい」だ。
容貌ばかりでなく、屈託なく笑う声とか、真剣な表情が見せる凛とした強さ。そういったもの。
「あはは、『犬』なのに『猫』みたいな事言うんだね。」
「犬って言うな!」
少しムキになって言い返してくる。
シリウスと言う人間は、とても大人っぽく見えるのだが、妙な所で子供のように思える。
「まぁいいや。」
何がいいのか、よく分からない曖昧なまとめ方をして、私はようやく身体を起こしてゆっくりと立ち上がった。
立ち眩みのせいで少しくらくらする。
「どっかいくのか。」
「いいや。外、見ようと思って。」
言葉通り、私は少しふらつきながら窓の傍まで行き、白灰色に混濁して見通せない遠くを見た。
しっとりと濡れる硝子に手をついて、目を凝らすと、見えたのは外の景色ではなく、自分の無表情な顔だった。
その背後に、シリウスが段々近付いてきた。
「早く雨、やむといいよね。」
「、雨が好きなんじゃ無かったのか。」
「雨って、何だか、けだるくて物悲しいでしょ。その感じが好きなんだけど。
でも、今の私には物悲しさは必要無いんだ。何か、幸せだから。」
「幸せ? 何で。」
訊ね返したシリウスを少し振り返って、私は答えずに笑った。
雨の日に見せる、けだるそうな姿も愛しいけれど、
やっぱり私は蒼天の下で笑うあなたが好きだ。
Fin.
(02.10.23)
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